ピーターパンの手枷

俺は、今地上から70m上空にいる。多分。

無職になって、早半年。自棄になった俺は飲み屋で暴れて、追い出された。前後不覚のまま路地裏でぶっ倒れて、空を眺めていたとき、アルコールのせいか、妙にふわふわ浮くような感覚があった。「今なら、飛べる!」と叫んだ辺りまでは覚えている。気づけば、俺は単身で宙に浮いていた。それも遥か上空で。

 始めは酔いもあって喜んだが、一時間飛んでいれば、酔いも覚める。いま、落ちたら死ぬという恐怖も二時間も浮いていれば薄れる。そして、どうすれば降りることができるのか、一切分からないことに気づくのには、そう時間はかからなかった。
新月の深夜、スマホもどこかに落とした俺が、地上の人間から気づかれることはないだろう。というか、気づかれたとして、助けてもらえるかは別だ。本人ですら降り方を知らないのだから。そして、寒さとアルコールのせいで、膀胱が限界を迎えている。70m上空に公衆トイレはない。

しかし、助かる手段は一つだけあった。俺と同じ高さにある、タワーマンション最上階。底辺の俺とは、人生が交わることもないような、上位層の金持ちが住んでいることだろう。そのベランダに取りついて、ガラスを叩こうとした瞬間、窓が開いた。

「おじさんは、もしかしてピーターパン?」
小学生くらいの少女と目があった。

「さっきから、お空を飛び回っているしやっぱりピーターパンだよね。服は、緑色じゃないけど。」
ジーパンに、適当なシャツとスニーカーしか身に付けていない。

「そんなことはいいから、トイレ貸してほしいな。」
「あと、おじさん、絵本に似てな…」
「いいからトイレ貸せ、クソガキ。」

開いた窓から、室内に滑空する。しかし、足を捕まれてしまった。

「貸してもいいけど、私をネバーランドに連れていってね。」
「終わったら、どこにでも連れていってやるよ。だから、貸してくれ。」

後の話だが、この約束さえしなければ、と今でも思う。
❬続く❭

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