山田尚子監督作品の本質について――あるいは世界を「赦す」ということ――

現在、山田尚子監督の新作である「平家物語」がFODで独占配信中である。わたしは山田尚子監督の大ファンである。そんなわたしが山田尚子監督作品の良さについて語りたいと思う。

山田尚子監督の作品といえば、「けいおん」、「映画 けいおん」、「たまこまーけっと」、「たまこラブストリー」、「聲の形」、「リズと青い鳥」、そして新作である「平家物語」の七作品を挙げることができる。

これらの諸作品は扱う題材も異なるが、私見によれば、一貫した山田尚子氏の思想性のようなものをとらえることはできると思う。

まず、山田尚子監督の諸作品には常にジェンダーの視点というものが導入されている。例えば、「けいおん」や「映画 けいおん」における女の子同士の友情や、「たまこまーけっと」や「たまこラブストーリー」における北白川たまこと常盤みどりのシスターフッド的な友情が丁寧に描かれたりする。山田尚子氏の作品には女性同士の強い連帯のようなものが描かれるのである。言うまでなく、「リズと青い鳥」における、のぞみとみぞれの関係性も女性同士の友情である。

ジェンダーの視点が導入されている点は、新作である「平家物語」も例外ではない。「平家物語」の第二話において、祇王と仏御前の恨みを超越した女性同士の連帯が描かれている点を見逃してはいけないのだ。

さらに、山田尚子氏の作品では、常に登場人物たちが、世界を肯定的に捉え直すという大きな特徴をもっているのだ。

「たまこラブストーリー」では、大路もち蔵から告白をされた、北白川たまこは自分が暮らす世界をある種のみずみずしさをもって捉え直していく。また、「聲の形」では主人公のひとりである石田将也は、映画の結末において、他者との関係性を回復しつつ、世界を肯定的に受け取るのである。

ここで注意したいのは、山田尚子作品において主要な登場人物は、生々しく、時として残酷な現実に直面したのちに、その世界を肯定的に受けいれる点である。

「聲の形」において、西宮硝子も石田将也も、時として世界の残酷な一面に直面する。それでも世界の美しさに気づき、その世界を肯定していくのである。だとすれば、その世界の美しさの象徴として、打ち上げ花火や病院の裏庭に咲く花々を捉えることも可能だろう。

また「リズと青い鳥」においても、のぞみもみぞれも、音楽の才能による隔たりなどを痛感しつつ、互いに親友でありながら、絶対的な他者であることを受け入れる。つまり、のぞみもみぞれも、互いに親友でありながらも、絶対的に分かり合えない部分ももち合せているということを受け入れるという結末を迎えるのである。そして、のぞみとみぞれによる「本番、頑張ろう!」という台詞からは、自分達が存在する世界を肯定的に受け入れたということが読みとれるのではないだろうか。

「平家物語」においても、残酷な世界を肯定的に受けいれる場面は見つけることができる。例えば五話において、戦が勃発して疲労困憊になっている平家の武士たちの背景には美しい天の川が描かれる。そして、平徳子は「この世界を赦すわ。」という言葉を口にする。その平徳子の台詞と共に、暗闇だった空に太陽が現われ、人々や馬たちが倒れている地表に光が降り注ぐという演出がみられる。やはり、「平家物語」においても、世界の残酷な一面にふれた平徳子はそれでもなお世界を「赦し」、世界を肯定的に受け入れるのである。

生々しい世界の残酷な一面に直面しながらも、そんな世界に美しさを見い出し、世界を肯定的に受け入れていくこと、それが山田尚子監督作品の本質のひとつであると、わたしは考える。

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