山野エル

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  • ブラフ

    note創作大賞2023のミステリー小説部門参加作品。 法廷もののミステリーです。

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ブラフ プロローグ

 近づいてきた巨漢の拳がボロボロの椅子に座らされたアジア系の男の頬に打ちつけられた。堪らずに椅子から転げ落ちた男の胸倉を巨漢が掴んで無理矢理立たせる。 「どういうつもりなのかと聞いてる。難しい質問じゃないだろう?」  椅子の向かい側、ウィスキー樽に腰かけるのは背広姿にハットを被った小柄な男だ。その青い目は暴力を映し出してもなお冷たく輝いている。どこかの醸造所の熟成庫の壁は黒カビに覆われている。その静寂の空間に男の声が響く。 「取引がしたいだけだ……」  口から血を流す男が強が

    • ブラフ エピローグ

      二〇二五年三月一八日 火曜日 午前  快晴だった。  中世ヴェネツィアを思わせる意匠の建物が、その濃い青空を四角く切り取っていた。緑豊かなイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の中庭は、セレモニーのために飾りつけられている。すでに多くのマスコミが駆けつけて、いつもは静かなこの場所も大賑わいを見せる。そう広くない中庭を取り囲む回廊にも多くの人やカメラなどが犇めき合っている。  午前九時半、セレモニーは静かに始まりを告げた。中庭の真ん中に設置された壇上にショートカットの黒髪を

      • ブラフ 第19話 コンフェッション

        二〇二四年二月二二日 木曜日 午後  紗怜南が、嘘のようにボロボロになっていた。  口の端には治りかけの痣があり、何かバイオレンスなことがあったことは想像に難くない。そんな彼女が俺のマンションの前、寒空の下に立っていたのだ。管理人が不審な目を投げてきたが、思わず部屋に上げてしまった。  弁護士として俺の前で辣腕を振るっていたあの日々とはかけ離れたようなちょっと高そうな服もどこかよれよれになっている。髪はボサボサで、目を合わせようとしない。光永には出さなかった温かいココアを急

        • ブラフ 第18話 変なおじさん

          二〇二四年二月九日 金曜日 夜 「なんでうちに来るんだよ……」  横須賀から船橋まで爆睡で助手席を独占してきた謎の男をマンション前まで連れて、草鹿はいった。長い運転でようやく冷静さを取り戻したものの、今の状況が整理できていないのは変わらない。 「まあ、いいじゃない」男は答える。「自分の家だと思ってくつろいでさ」 「自分の家なんだよ。それから、ずっと聞いてなかったんだけど、あんた誰なんだ?」 「あれ? 名前言ってなかった? おかしいなぁ……、一昨日、警察に職質かけられた時に名

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          ブラフ 第17話 瓦解

          二〇二四年二月九日 金曜日 午前  戸倉たちが姿を現し、音もなく席につく。  草鹿が呼ばれ、戸倉の眼前にある台の前に立つ。三淵と千種、紗怜南、壇上の面々、そして詰めかけた大勢の傍聴席の人々が静寂の暗幕を被っている。  淡々と草鹿の身柄の確認が行われ、ついに戸倉が厳かな光をその瞳に宿した。 「それでは、判決をいい渡します」  実際の裁判での判決はシンプルだ。裁判長が主文と理由を読み上げるだけだからだ。  静寂が最高潮に達し、戸倉の所作に全員の注目が集まる。 「被告人は、無罪」

          ブラフ 第17話 瓦解

          ブラフ 第16話 画竜点睛を欠く

          二〇二四年二月七日 水曜日 午後  審理の場から別室に舞台を移して、戸倉と三淵、千種、紗怜南、そして草鹿はテーブルについた。溜息交じりに戸倉が切り出す。 「正常な審理が困難になりかねない状況だったので休憩としましたが……、草鹿さんにお伝えしたいのですが、この法廷はあなたが問われている罪についての審理を行うことを目的としています。そのことを改めて頭に入れて下さい」  草鹿は真剣な顔で身を乗り出す。そばの係員が神経質に身構える。 「氏川について調べて下さい。そうすれば──」 「

          ブラフ 第16話 画竜点睛を欠く

          ブラフ 第15話 大暴れ

          二〇二四年二月七日 水曜日 午後 「これより被告人質問を行いますので、被告人は証言台へ」  昼休みを経て、ややゆったりとした空気が漂っていた。草鹿はゆっくりと立ち上がって、席についた。 「弁護人から質問をどうぞ」  紗怜南は草鹿の様子を窺うようにおずおずと足を踏み出した。そして、ふっと息をつくと、意を決したように口を開いた。 「まずはじめに聞きたいのですが、あなたは二〇二三年七月一二日に初めて奥野さんの別宅を訪れたのですか?」  草鹿は紗怜南に向かってうなずいた。 「そうで

          ブラフ 第15話 大暴れ

          ブラフ 第14話 オーメン

          二〇二四年二月二日 金曜日 午後  被告人質問の最終確認を終えた草鹿は眉間に皺を寄せたままだった。 「何か不安がありますか?」  紗怜南が尋ねると、彼はアクリル板を突き破るようなギラリとしたものを目に宿して答えた。 「ずっと考えていたんだけど」 「……なんですか?」  紗怜南の声の端と寄せられた眉根には、文字で書かれているように嫌な予感が滲み出していた。 「信じたくはないことなんだ。こんなに長い間、奥野が姿を現さないなんて、どう考えてもおかしいだろう?」  荷物をまとめてい

          ブラフ 第14話 オーメン

          ブラフ 第13話 スーツを脱いで

          二〇二四年二月六日 火曜日 夕方  草鹿が話す間、紗怜南はじっと耳を傾けていた。その熱のこもった眼差しには間違いなく、彼女への思いが秘められていた。そこには拭いきれぬほどに情がありありと塗りこめられている。  草鹿の口振りから距離感が消えたタイミングを紗怜南は思い出すことができない。だが、その移り変わりに草鹿の感情が伴っていることは容易に想像ができた。 「依頼人は得てして味方である弁護士に好意を抱きがちだ」  とは、紗怜南の父である郁也の言葉だった。そして、時にはその依頼人

          ブラフ 第13話 スーツを脱いで

          ブラフ 第12話 草鹿京一の話

          二〇二三年八月一〇日 木曜日 早朝  警官二人に両腕を掴まれてパトカーに乗せられて、太ももから下の感覚がスーッと抜けていった。  俺が何をした?  なんで警察が来た?  次には、奥野のことが気になっていた。予定では、もうすぐ戻ってくるはずだった。俺が警察に逮捕されたなんて知ったら、彼は驚くだろう。車窓に流れる葉山の街が置き去りにされていく。奥野の別宅で過ごす無為な時間は俺を変えたわけじゃないが、住む世界が違うということをまざまざと見せつけられた。好きに過ごせたのはよかったが

          ブラフ 第12話 草鹿京一の話

          ブラフ 第11話 攻防戦

          二〇二四年二月六日 火曜日 午後  三淵は岡原の話を聞き終えて、しばらく沈黙の時間を作っていた。傍聴席では、固唾を飲んでこの先の展開を見守ろうという眼差しが焦れているようだった。 「今回の事件は被害者の遺体が発見されませんでしたが、そういった事件では、どのように殺人があったと判断するんでしょうか?」  三淵の質問に岡原は真っ直ぐと戸倉へ目を向けながら答える。 「収集した証拠から総合的に判断します」 「今回の事件で、どのようなポイントが殺人があったことを示していると考えられま

          ブラフ 第11話 攻防戦

          ブラフ 第10話 岡原弘通の話

          二〇二三年八月一一日 金曜日 午前 「どういう状況なんすか」  いつにも増して不機嫌そうな馬場あずみがぶすくれた表情でいう。葉山とはいえ、うだるような暑さだ。馬場は夏が死ぬほど嫌いらしい。手に握ったポータブル扇風機の風をこれでもかと首筋に当てている。車から降りたばかりで汗ばむ炎天下には蝉の鳴き声が飛び交う。目の前には白い壁に囲まれた民家が建っていて、警察車両が取り囲んでいた。規制線を張った周囲には、暇を持て余した数少ない野次馬が頭を振り子のように揺らして中の様子を窺おうとし

          ブラフ 第10話 岡原弘通の話

          ブラフ 第9話 真実を巡る闘い

          二〇二四年二月六日 火曜日 午前 「それでは、開廷します」  戸倉の粛然とした声が響き渡る。今日も傍聴席は満員だ。ところどころに咳払いがポツポツと湧き上がる中、戸倉が早々に場を進めていく。 「本日第二回期日では、殺人と死体損壊等についての審理を行います。殺人については、検察の主張に対して被告人が否認をしていますので、事実自体を争うこととなります。それに伴って、死体損壊等についてもその事実が争点となります。昨日と同様に、裁判所は然るべき証拠を採用しました。また、検察官から雨澤

          ブラフ 第9話 真実を巡る闘い

          ブラフ 第8話 過ぎたこと

          二〇二四年二月五日 月曜日 夜  ひと仕事を終えた紗怜南は、とあるバーへ足を運んでいた。 〈久しぶりに飲みませんか?〉  木崎星矢からポンと送られてきたメッセージに、紗怜南は軽い気持ちで応じてしまったのだった。  待ち合わせのバーのドアを開くと、カウンターの奥で手が挙がった。短髪に精悍な顔立ちの白いシャツを着た男が小さく微笑んでいる。 「遅くなりました」  パンツスーツ姿の紗怜南が隣に座るのをまじまじと見て、木崎はいった。 「忙しいみたいですね」  木崎と目を合わさずに、紗

          ブラフ 第8話 過ぎたこと

          ブラフ 第7話 探り合い

          二〇二四年二月五日 月曜日 午後  氏川のそばに立った三淵は、早速質問を飛ばした。 「あなた方が奥野さんの別宅を訪問した時、確かに被告人は奥野夢人だと名乗ったのですか?」  氏川は記憶を手繰り寄せるように中空を見つめる。 「自分から名乗ったわけではないですが、徳安が『奥野夢人さんですか?』と尋ねたところ、『そうです』と返事していました」 「あなたの目から見て、被告人と奥野さんは似ていますか?」 「いえ、全く」 「被告人と奥野さんを見間違えることはない?」 「絶対にないです」

          ブラフ 第7話 探り合い

          ブラフ 第6話 氏川茜の話

          二〇二三年八月二日 水曜日 午後  顧客層の拡大案を何度か奥野に撥ね返されていた私は、高齢女性をターゲットにしたアパレルブランドの立ち上げを企画書に起こして苦し紛れにメールを送ってしまった。私なりに色々考えての企画だったが、こういう時の奥野は手厳しいものだ。メールを送って後悔を抱えたが、もう遅いと諦めた。何もしないより、何かをしたという事実をぶち上げることの方が重要だと自分に言い聞かせた。職場に置いたパソコンモニターの枠に貼りつけられた〈新規顧客獲得案!〉という奥野の走り書

          ブラフ 第6話 氏川茜の話