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総合商社で働きながら、スポーツ中央競技団体の理事をしています

はじめてNoteを書きます。数年前に登録してからずっと書きたいと思っていたのですが、忙しさにかまけてつい後回しに。。

日本は今夏、東京五輪で連日の大盛り上がりだったはずでした。しかし、コロナの影響でスポーツと平和の祭典は延期となり、日本社会に大きな落胆の影を落とすことになりました。鬱々とした日々が続く中、スポーツ業界のほんの一端に携わる身として、思いの丈を綴ってみようと思います。お付き合い下さい。

1. 自己紹介

僕は普段、三井物産という総合商社で、とある金属のトレーディングの仕事をしています。資源がない国・日本の産業には原料としての鉱物や金属が欠かせません。日本への資源の安定供給を果たすという重要な役割は勿論、世界のあちこちで買ったり売ったり、業界における需給の調整弁としての役割を果たしながら利益を生み出し、時には新しい産業のバリューチェーンを構築していく、緻密ながらにダイナミックな仕事です。気づけば新卒で入社して以来、10年ちょっとが経過しましたが、長らく金属資源関係のビジネスに身を置いております。マレーシアや仏語圏アフリカでの海外赴任も経験し、日本に帰国してから約3年が経過しました。

商社マンとしてそこそこ楽しく忙しい日々を送っているわけですが、僕にはもう一つの顔があります。それは、公益社団法人・日本フェンシング協会の理事。日本サッカー協会や日本陸連などと同じ、フェンシングというスポーツの日本における中央競技団体です。今日は、この仕事について少しご紹介したいと思います。

2. フェンシングとは?

みなさん、フェンシングってご存知でしょうか。

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西洋の剣道みたいなもので、白いユニフォームを纏い、片手で剣を持って、相手を突いて勝敗を決めるスポーツです。フルーレ・エペ・サーブルの3種目があり、いずれもオリンピックの正式種目です。日本の競技人口は1万人弱。日本フェンシング協会は、「日本におけるフェンシング競技を統括する団体」ということになります。

3. 日本フェンシング協会と理事の役割

日本フェンシング協会の主たる事業は3つ。①全日本選手権など各種競技会の主催・開催、②フェンシング競技の普及や選手の育成・強化、③日本代表選手の国際大会への派遣、です。協会の最高意思決定機関が理事会で、だいたい月に一度くらいの頻度で開催。理事は、一人一人が理事会での議決権を持ち、日本のフェンシング競技についてのありとあらゆる意思決定に関与する他、自分の担当領域(管掌)を持って活動します。会社で言うところの取締役です。理事は全員で20名おり、そのトップが会長。ちなみに今のフェンシング協会会長は北京・ロンドン五輪銀メダリストで東京五輪の招致プレゼンターも務めた、太田雄貴です。彼は2017年に当時31歳の若さで協会会長に就任、スポーツ中央競技団体の会長としては最年少です。

ちなみによく周囲から聞かれるのですが、理事として報酬は1円も貰っていません。サッカーとかラグビーとか、メジャーなスポーツでは理事になるとお金が貰えるところもあるのでしょうが、日本フェンシング協会は理事全員が無報酬です。いやむしろ、何か不祥事を起こした際の損害賠償に対する保険に強制加入させられるので、実質的には赤字ですね...。

4. 僕が理事をやっている理由

「お金ももらえないのに、なんで理事なんかやってるの?」とよく聞かれるので、この場を借りてご説明します。

1つ目の理由は、太田雄貴に頼まれたからです。僕が海外赴任から帰国した2017年後半、「日本のフェンシング界を改革したい。手伝ってくれないか」と打診を受けました。僕と太田は高校時代から、フェンシングの世代別日本代表として世界と戦ってきた戦友で、かれこれ18年来の付き合いになります。僕は大学卒業のタイミングでビジネスパーソンとしてのキャリアを選び、ナショナルチームの第一線から身を引く決断をしましたが、彼はアスリートとしての道を切り開き、皆さんご存知の通り北京・ロンドン五輪でメダルを獲得。彼の活躍は嬉しい反面、プロアスリートとしての道を諦めた自分にとっては羨ましく、眩しくもありました。

そんな太田が、現役を引退した後に、日本の超絶マイナースポーツであるフェンシングを本気で変えようとしている。そして、かつての戦友である自分を頼ってくれている。彼の情熱や本気度に突き動かされ、2018年6月に理事に就任しました。

2つ目の理由は、自分を育ててくれたフェンシング競技に何か恩返しがしたい、という思いからです。僕は四国・香川の田舎で生まれ育ち、高校生の時にフェンシングに出会ったことで、自分の価値観や人生観が激変しました。「日本代表として世界を舞台に活躍する」という自分のアイデンティティもキャリアも、フェンシング日本代表の経験がなければ有り得なかった。今度は自分が、商社で培ってきたビジネスのマインドセットやスキル、ノウハウをフェンシング界に還元し、フェンシング競技の価値を高めたい。マイナースポーツ・アスリートとしての境遇やキャリア形成に悩む選手たちの環境を、少しでも改善させてあげたい。こんな思いがありました。

マイナースポーツはとにかくお金がありません。僕は現役ナショナルチーム時代、国際連盟主催のワールドカップでメダルを取ったこともありますが、それでも遠征費は全額自己負担でした。大学に通いながら競技を続け、空いた時間で複数のアルバイトを掛け持ち。少しでも費用を抑えるために格安航空券を自分で取ったり、遠征先ではカップラーメンを食べたりユースホステルに泊まったりしていました。あの時はとても、フェンシングで飯を食っていこうとは思えなかった。今の日本代表選手たちはそこまで厳しい環境ではありませんが、日の丸を背負う選手たちに自分が味わったような惨めな思いをして欲しくない、という思いが根底にあります。

ちなみに僕の理事としての管掌は、日本代表選手12名で構成されるアスリート委員会(いわゆる選手会)です。アスリート委員会は、日本代表選手は勿論、日本全国のフェンサー(フェンシング選手)の声や意見を汲み上げ、アスリートファーストを実現していく組織。僕はアスリート委員会からの推薦を受けて理事に選出されており、日本全国のフェンサーを代表しての立場から、協会運営に関する様々な方針策定や意思決定に関わっています。

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World Fencing Day Forumでの理事挨拶。理事メンバーは競技出身者だけでなく、弁護士・スポーツドクター・経営者・コンサル勤務など、多様な外部有識者によるTeam Up。左端が筆者。

そして理事になった最後の理由。自分の成長の為です。商社で働いていると、自ずと経営に対する興味が湧いてきます。自分で立ち上げた会社やベンチャー企業ならともかく、30代前半でスポーツ中央競技団体の経営や意思決定に関わることができる機会は、中々ありません。元日本代表でフェンシングのことが分かっていて、かつビジネスを通じて組織の力学や仕組みをある程度理解している自分だから出来ることがある、と直感しました。三井物産での僕のキャリアは、これまでトレーディングや新規案件創出がメインで、事業や組織を経営するという機会に必ずしも恵まれなかった為、自分のカバレッジや人脈を広げるという意味でも、とても意義のあることだと思い引き受けました。会社側も、上記の事由や社会貢献性という観点から、僕のフェンシング協会での理事業を快諾してくれました。理事の経験が本業に活きるケースも増えてきていると実感しており、これは別の機会に改めてご紹介したいと思います。

少し長くなってしまいましたが、僕の仕事について簡単にご紹介しました。今後は、僕のフェンシングとの関わり、アスリート×キャリア、日本フェンシング協会での仕事、東京五輪、などなど、様々なテーマについて書いていきたいと思います。



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