ウクライナ編③完結

久しぶりの更新になってしまった。
期待してくれていた人(いるか分からないが、、、)、すみません。

さて、ウクライナ編の第3話を書きたいと思う。そろそろビアバーで書きたい話も溜まってきたし、さっさと終わらせよう。

前回は、案件探しと元上司に切り捨てられた話を書いた。

案件に取り組み始めてから1年弱経って、ウクライナでの仕事はどうしようもなく停滞していた。

停滞の理由は、単純に言えば、ウクライナの法律に関わる事で、一企業では如何ともしがたい理由によるものだった。
ウクライナ政府に設備を売るのに、ウクライナのカントリーリスクが高すぎるということで、100%前金で支払いを受けなければ
設備の輸出保険(NEXI)が付かない。そして社内規定上、無保険で輸出は出来ないのだ。

他方、ウクライナの国家調達法上、外国企業に対して100%前金で支払う事は許されない。覆せない要素が完全に相反していて、見事なDead lockだった。

当時俺と共に部署ごと案件が異動し、若手として非常に肩身の狭い思いをしていた(部長からは「何でそんな案件やってるの?」と言われたり)が、同じ部署に異動してきていた元上司は我関せずの態度で、今盛り上がっている案件にアサインされようと頑張っていた。

そんなこんなで東京にいづらいので、俺はしょっちゅうウクライナ出張に行き、キーウオフィスに自分の机を作ってもらい仕事していた。


救いになったのが、同僚で、一緒にプロジェクトをやっていたタラス君だ。

タラス君は、俺と同じように、上司であるキーウ支店長(唯一の日本人)のおっさんからは担当案件が上手くいっていないことについてグチグチ言われ滅入っており、気晴らしに良く遊んだ。

週末は彼の姉や彼女と一緒に野外コンサートに行ったり、支店長が帰った後に、同年代のスタッフを集めて支店でモルドバワインを飲んで乱痴気騒ぎをしたり。

そんなこんなで、仕事は苦しかったがウクライナ生活は楽しかった。

ある日、理由は忘れたが、俺はウクライナの過去の政策を色々と調べていた中で、偶然とある閣議令を見つけた。

曰く、「EURO2012を予定通り実施するべく、スタジアム建設費用の支払いについては某トルコ企業に100%頭金として支払う」。

見た瞬間目を疑ったが、その時体内に電気が走り、「これだ。この案件の為に閣議令を出させれば良いんだ」と確信に至った。

その後はタラス君と共に閣議令のドラフトを勝手に作り、更に、同じ悩みを抱えていた他の商社と協力し、経産省に陳情に行き、日本政府からウクライナ政府に対し特例としての閣議令発出が求められ、あれよあれよと言う間に閣議令が出た

当時、この案件に関わっていた全日本人の中で圧倒的に若造だった俺だが、その時になると経産省のおじさんも、その事について嫌な顔はしなくなっていた。

いよいよ案件が実現する、となってきた時、細かい調整をしようとウクライナ東部ルハンスクの建設会社社長ナタリアを訪問した時だ。
俺から、建設コストが高すぎる、これでは補助金枠を超過してしまう、と言ったところ、

ナタリアはいつになく真剣な顔つきで

紙に「キーウ(政府)への上納金、20%」と書き、すぐにビリビリに破いた。

それは、近所のスーパーにいるような太っちょのおばさんがやる所作としてはあまりに違和感があったが、
そもそもこの案件に取り組んだ当初に
環境投資庁実務型トップが不自然な死に方をしたことを考えると、これがこの国のリアルなのだ、と納得がいった。

結局、賄賂を払うであろう会社に発注は出来ないので、ウクライナ側の事は一切関知しないから設備だけ直接政府に収め、
後は政府と建設会社の間でよしなにやってくれという事で処理した。

その後、ついにこの案件は契約締結に至り、俺は元上司や他の誰にもサインさせたくなかったので、Power of Attorneyを貰い、日本の経産省、ウクライナ環境投資庁が臨席する中で署名した。

経産省の実務型トップのおじさんは、
「多分今日の事を君は一生忘れないと思う」と言ってくれた。実際に10年後にこうやって文字に起こしているのだからそうなったのだろう。

国家間のプロジェクトだったこともあり、その後日経新聞にも取材され掲載されたし、署名式の模様はウクライナ環境投資庁のHPにアップされた。

俺としては、色々あったが、漸く報われた、諦めずに取り組んでてよかった、元上司には見たかコラ、てめーの功績じゃねーからな、という感じで、素直に嬉しかった。


…と、ここで終わらないのが人生である。


契約締結後順調に設備製作が進み、ついに出荷。海上輸送でオデッサの港に到着。
その時に、ユーロマイダン(ウクライナ民主化革命)が起き、キーウは暴動となり、時のヤヌコビッチ大統領はロシアに逃亡。
と同時に出荷先のドネツク、ルハンスクは親ロシア派に占拠され、「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」が建国される。
タラス君と共にユーロ2012の試合を観戦したドンバス・アレーナは戦場となり、その後試合が行われる事はなかった。

そして、実は、会社には内緒だが、タラス君も実は革命に参加していた。

タラス君はキーウの街中のレンガを剥がして運搬する係で、

それが為にぎっくり腰になってしまったという事だったが、仕事上の最後のやり取りで「we are creating new country」と連絡があった(最近ポーランドで10年以上ぶりに再会した時は感動した)。

肝心の出荷した設備は親ロシア派に奪われ、かくして俺の2年間の苦闘と日本国民の税金の結晶は台無しになった。

日本にいるとあまり感じられないが、我々は激動の歴史の中にいる、という事を実感した。

俺は、俺の仕事を台無しにしたプーチンにいつか借りを返させてやる、と決意しつつ、
次のステージはロシアに場所を移し、ビジネスを通じてこの大国の全貌を知らなければならない、と思うこととなったのである。

ウクライナ編は以上。次回からはバーの運営について、また色々と書こうと思う。


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