第158回関西若獅子の会 「二宮尊徳の歩いた道」 感想文

日本の心を照らします☀
鉄舟です!

先月の令和6年5月11日、関西致知若獅子の会の例会に行ってまいりました

致知若獅子の会とは、20-35歳までで行われる、人間学、つまり人としてどう生きるかを学ぶ「致知」という雑誌を使った勉強会です。

各地方に支部がありまして、毎月勉強会が行われております。

この会では、その月の号を読み、感想文を書いて発表し合います。

感想文の書き方は、雑誌全体を通しても良いし、記事を一つピックアップして書いても構いません。

5月の例会に参加したときに書いた感想文を、こちらでシェアしますね

何か氣づきやヒントがあれば幸いです




本記事を読み、印象に残ったことは3点あります。


1点目は、金次郎は、24歳で村でも有数の地主になっていたことです。

本記事は終盤で金次郎が譲りの道を大切にしていたと説いています。浅い読み方をしてしまうと、金次郎がまず一家を豊かにしていたことを見落としてしまいます。有数の地主になるほどに自分事を終わらせていた、だから藩の財政再建といった公に仕することができたことは、外してはならないと感じました。志に向かうなら、まずは社会からも認められるほど自分を豊かにすることが先決と認識しました。


2点目は、金次郎が藩の武士階級から冷酷な仕打ちを受けていたことです。

今まで、二宮金次郎についてあまり知りませんでした。本記事を読み、金次郎が藩の財政再建を成功させる過程で武士たちの反感を買い、亡くなった後に村人が葬儀を上げることさえ禁止されるという仕打ちがあったことに衝撃を受けました。金次郎はおそらく、武士たちからの仕打ちを承知しながら、信じたやり方を貫いたんだと思います。貫けた理由は、天を相手に自身の基準を作っていたからだと思います。現在のわたしは、社会人としての道徳基準が曖昧で、上長の指摘を受けながら、一つずつ基準を作っている最中です。ただ、もし上司が間違ったことをしていたとき、自分の基準に自信がなく、諫めることができません。金次郎は、古典にある基準と自身の体験から天の基準といえるものを見出したんだと思います。天の基準、という視点を大事にできるために、まず大学と論語を読み、実際の生活と照らし合わせながら自分の基準を作っていきます。


3点目は、金次郎の遺言「慎めや小子。速やかならんと欲するなかれ。速やかならんと欲すれば大事を乱る。勤しめよ小子。倦むことなかれ。」です。

わたしの志は、関わる人の心を豊かにしていく、この国を最も心が豊かな国にすることです。しかし、現状は、自分の心の状態を表す部屋が散乱しているような状態です。焦っているせいで、本を疎かにしていることを、この遺言を読み、深く自覚しました。イチロー選手は、大きなことを目的にすると達成できない。目の前の小さな目標に集中してクリアしていいくことが大事と言っています。逆説的ですが、志に向かうために、志はあまり意識せず、小さな目標に意識を集中させ、小さな満足感、達成感を感じながら、倦まず弛まず、勤しんでいくような生き方をこれからしていきます。


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