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『サン・セバスチャンへ、ようこそ』

本当に体調が悪かったからなんだけど、仕事もせずにだらだら過ごした月曜日。ウディ・アレンの新作だからと対して調べることもなく観たいと思っていた『サン・セバスチャンへようこそ』を観に出かけた。事前にチケットを取らなかったのは絶対に観ようとは思っていなかったからなのだが、体調が悪い時でも観られるのが彼の映画だし、体調が悪い時ほど体に効くのが彼の作品だから、ちょうど馬があった、いいタイミングだったってことなんだと思う。久しぶりに映画館でチケットを現金で買って、食欲もないのでコンビニで買ったペットボトルのカフェオレだけで、上映の15分も前に着いちゃって会場案内から1番で中に入った。1番で入ったはずなのに、すでにスクリーンの前には2,3人の観客が座っていてどういうことだと思ったけれど、全員じじいだったからなんかマジでどうでもよかった。正直に話すとミッドナイト・イン・パリの映画史版みたいなのかと思って楽しみにしてたから、全然違くて力が抜けて笑えた。しかも、2020年の作品だったと知って、なんやねんそれ!と、なんで今公開やねんと、それも含めてなんか笑った(理由はあとで調べたけどコメントはしないというかできない)。じじいになって初めて小説を書いた奴が無相応な恋愛小説を書いたような(実際に自治体がやってる小説教室とか行くと本当に一人はいる)、ウディ・アレンてずっとじじいだなーってのが感想だったんだけど、気分の悪い私にはちょうどよかった。哀愁を愛でられるようになったら終わりなのでは?と思いつつ。恥ずかしいほどのじじいの妄想恋愛でも撮影監督によってとても美しく幻想的な映像で描かれると素敵に映るのです。

物語の序盤から私は、いつもの通り主人公に入り込むことができた。きっと観に来てたじじいもそうだと思う。(いつだってウディ・アレンの映画は、そんなじじいしかいなのだ。だから観客席はいつもガラガラだ。)こんな風な言い方をするのは嫌なんだけど、結局はスノッブなサブカル映画じじいにありもしない幻想を見せて、こんな夢見たいなことないけど、まあ今更自分を変えることもできないし相対化できる視点だけ持って、ちょっと周りは羨ましいけど、できることだけ楽しくやって生きようぜみたいな。
きっと映画館をでたらここにいるじじいたちは、バーとか行ってウディ・アレンの話をするんだ。そんなことやっても人から嫌われるってわかってるし、今そんな映画を観てきたところだけれど、話しちゃうんだよな。俺も今この文章を書きながら、どうやって面白く話すかを考えちゃってる。きっとウディ・アレンは、酒場でこのシニカルな映画をシニカルに話す私たちを見て笑ってるに違いない。(ウディ・アレンがどんな風に笑うのか知りたいな。)それで言うんだ、よかったじゃないかって。意味のない人生の意味を探して意味なく生きる私たちに「空っぽじゃないならいいじゃないか」って。

ここ数年は子供ができて映画を碌に観れていないから、去年観たディミアン・チャゼルの『バベル』との対比を考えちゃって、またまた笑ってしまった。まだまだ映画撮ってくれよ、じじい。

たしかに余命1ヶ月って2月に言われたらなんだか損した気分になるなー

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