純粋なまま達観している小学生

今日の朝の通勤電車で立っているとこんな会話が聞こえてきた。

Aちゃん: 「がいこくはじしんがないの?」

Bちゃん: 「じしんはあると思うけど、がいこくのじしんは日本みたいに大きくないから。」

Aちゃん: 「ふーん」「なら私もがいこくに住みたーい」

そんな感じで隣の黄色い帽子を被った低学年の女の子が2人で笑い合っていた。

小学生の口から発せられる「がいこく」という言葉はどこか甘美な響きを伴ってて、素晴らしい楽園のような場所を想起させた。例えば馬車に乗ろうとしているお姫様に王子様が手を差し出している場面なんかが自然と思い浮かんで、そんな夢のような光景がずっと広がってる世界だ。

実際に彼女達はまだ、がいこくについてあまりよく知らないのだろう。
だけど頭の中で、がいこく=どこか素晴らしい場所だと決して信じて疑わない。だからこそ彼女たちが発するがいこくという言葉は素晴らしい響きを身にまとっていた。

そして「がいこく」という響きに負けず劣らず、彼女たちから発せられた「じしん」という言葉もこれまたステキな響きを伴っていた。

彼女たちにとってがいこくはイマイチピンとこないけれど、絶対に素晴らしい場所で、反対に「じしん」は怖いもの。

大人になっていくと、たとえ一度も行ったことがなくても、がいこくは外国になってしまう。
もちろん世界には夢のように素晴らしい景色もあるが、それだけではないと生きていれば嫌でもそう認識してしまうようになるから。

欲を言えば一度だけでいいから彼女たちのような純粋な目でこの世界を見てみたいと思った。でもそれは無理だからもっとフラットにこの広い世界を見る努力をしようと思った。


Aちゃん:  Bちゃんってそこらへんに生えてる草になりたいんでしょ?

Bちゃん:  うん。

Aちゃん:  ならいまから私がBちゃんをあそこに生えてる草にしてあげる。
でもリク君に会えなくなっちゃうよ?リク君にも会えなくなるし、Bちゃんのお父さんにも、Bちゃんのお母さんにも一生会えなくなるのに、ほんとにいいの?

Bちゃん:   、、、

次に聞こえてきた会話はこんな会話だった。
最初の会話から片鱗は感じていたが、やっぱりこの2人只者じゃない、、特にBちゃん、、もしかして人生2周目??


最近の小学生レベル高えよ、、
羨ましいとか嫉妬とかじゃなくて素直にスゴすぎるのと可愛さでクスッときたわ。

6歳の俺に「そこらへんに生えてる草になりたい」って言葉を発する発想なんか絶対1ミリもないし(たとえ親や兄弟がそういっているのを聞いとしても意味が理解できないからまず友達にそんな発言できない)、もし友達がそう言ったとしても、そいつのことめちゃくちゃバカにしてたと思うわー。

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