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夜神月になろうとして、すぐ諦めた話

※厨二病の話ではありません。

私は本来の自分の進むべき道に集中できず、新しいことに目を輝かせてしまう。よく言えば好奇心旺盛。悪く言えば現実逃避の癖(へき)がある。

20代後半頃。フリーランスのライターとして活動はしていたが、仕事はあまりなかった。

家でパソコンをぽちぽちしていた私は、「つまらん。やる気ない。そうだ、演劇でも観に行って、私の中に眠るクリエイティブ魂を揺さぶってこよう」と思い立った。下北沢あたりで探せば何かしらあるだろう。

仕事をほったらかしてネットで演劇を調べていると、【舞台『DEATH NOTE』のオーディションを開催する】という情報が目に入った。

言わずと知れた人気漫画・デスノート。連載していた頃から単行本を集めていた。いまだに漫画を読み返すことがあるし、スピンオフ漫画も買った。映画も観たし、ドラマも少しだけ観た。

募集要項をざっと見てみると、なんと主人公・夜神月の配役を募集していた。主演だ。

プロアマ問わずで、年齢制限もギリギリOK。オーディションに受かったら、都内でみっちり稽古をするという予定も書いてあった。応募期限にもまだ間に合う。

いける。

私は空白だらけのスケジュール帳を確認し、いけるいける、と繰り返した。一気に血液が巡り出し、体が熱くなる。

演劇を観に行く、という当初の目的は忘れ去られていた。今まで考えたことがなかっただけで、私は演じる側の人間だったのかもしれない。

演技の経験などない。俳優を夢見たこともない。夜神月にも似ていない。だがしかし、そんな自分でも夜神月になれるチャンスがそこに転がっているのだ。だって募集要項に当てはまっているのだから。

藤原竜也、、、窪田正孝、、、そんで俺、、、

映画版とドラマ版で夜神月を演じた俳優2人が、私の前に立っている。彼らが「次は君だ」と、肩に手をのせてエールを送ってくれるイメージが頭の中に流れ込む。

デスノートの歴史に名を刻むチャンスだ。

本来はこんなことを考えている場合ではない。ライターとして実績を増やし、お金をたくさん稼がないといけない。

だけど、もしも夜神月になれたなら、どかーんとお金が入ってくるだろうし、ネームバリューもとんでもないことになる。私と同じ立場になって、このチャンスに挑戦しない人がいるだろうか?いやいない。絶対にいない。

ここでひと呼吸つく。冷静になろう。

そう、まずは自分の演技力を確かめねば。

演技なんてやったことがないから、自分の力量がわからない。もしかしたらめちゃめちゃ上手いかもしれない。

早速鏡の前で、

「新世界の神となるっ!」というセリフとともに目をキラキラと輝かせてみたり、

「……計画通り」とニヒルに笑ってみせたり、

オーディションで実演させられるのではないかと思えるシーンをいくつか練習してみた。

あまり上手くないが、まあ監督や演出家などのプロに見せてみないことにはわからない。共演者との相性もきっとあるだろう。本番に強いタイプかもしれない。

自分の可能性を消してしまうのいつだって自分だ。とりあえず受けてみよう。やってみなはれの精神だ。

よしOK、演技力はオーディションまでに高めていこう。募集要項を今一度確認してみる。

するとそこには、

「ミュージカル」「歌唱」

といった言葉が並んでいる。

え?

終わった。

見落としてたんだけど。

これミュージカルなんかい。

じゃあ無理だ。だって音痴だもん。

いくら演技力が未知数であろうと、自分の歌唱力は知っている。下の中だ。オールのカラオケで私が歌い出したら、寝ていた人が「なに!?」とびっくりして起きたことがある。

ボイトレに通うという選択肢もあるが、応募書類を送る時点で歌唱力がわかる音声や映像の提出が必須だった。この短期間では無理だ。というか、ボイトレに通ったところで結果は見えている。プロの俳優や、俳優志望の人に敵うわけがない。

そこでやっと正常な思考に戻った。

そうだそうだ、自分はライターだった。夜神月の役作りをしている場合ではない。新世界の神は他の誰かに託そう。というか、鏡の前で練習した演技もめちゃめちゃ下手だった。

少し落ち込みながらパソコンに向かう。

……ミュージカルか。Lも歌うのかな。気になる。まあいいや。

『さよなら 夜神月』

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