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「清州でどうする!」って? もちろん、甲冑で身を固めて戦うのだ!

昨夜の「どうする家康」は第4回「清州でどうする!」でした。そのため、ドラマ終了後の「紀行コーナー」はもちろん、(復元された)清州城でしたよね。
(大河ではドラマ以上に「紀行」ファンなのは私だけ?)

我が家では、テレビを見ていて、自分たちが過去に訪れた場所が登場すると、
「あ、ここ、行った行った!」
とひとりが叫び、一家総出で、
《行った行った音頭》
に合わせて輪になって踊ることになっています。

清州城は比較的近くなので、当然の「行った行った」にとどまらず、1ランク上の《やったやった音頭》です。

何をやったかと言えば、以前、別の場所に書きましたが、
《鎧・兜に身を固めた》のでした。

出勤前に雄叫び(背後は自宅の石垣)

一部の説明が重複しますが、清州城から五条川を渡った対岸にある「清洲ふるさとのやかた」でボランティア団体「清州甲冑工房」が、甲冑の製作や甲冑知識の普及活動をされています。

城を訪問した時に、たまたまこの「清州甲冑工房」が「試着会」をしており、着せていただきました。

さて、「清州でどうする!」の回では、清州城人質時代の回想シーンで、幼いお市が鎧を着たまま川に飛び込む「水練」で溺れ、家康が助ける場面がありました。

もちろん、ドラマ中のエピソードですが、あの川はどこか、と問えば、やはり城の前を流れる五条川でしょうか。
(注:この記事を挙げた後、よく考えれば人質時代は信長は那古野城、家康は熱田に幽閉されていたわけで、五条川というよりその下流の庄内川でしょうね)。

五条川に架かる朱塗りの「大手橋」

私たちが城を訪れたのは3月下旬の桜の季節であり、この季節は五条川の上を鯉のぼりが優雅に泳いでいました。

清洲古城跡公園の傍ら、五条川の上空を泳ぐ鯉のぼり

清州からもう少し上流に上った岩倉市では、桜の季節には(上空でなく!)五条川の川面で実際、鯉のぼりが泳いでいます。
これは「のんぼり洗い」といって、この地の「のぼり屋」さんが、鯉のぼりを川の水にさらして、糊を落としているのだそうです。

復元後の清州城から五条川と東海道新幹線を隔てた「清洲古城跡公園」に信長の銅像があります。
なんでも桶狭間の合戦に出陣する26歳の信長で、桶狭間の方角を見ているのだとか。
傍らの濃姫像は、後から移設されたそうです。

濃姫像に「とってつけた」感アリ、と思うのは私だけ?

清須市のホームページを見ると、

市民に親しまれているこの公園は、「始まりの地~二人の愛と希望の丘」と称し、夫婦円満、恋愛、立身出世、必勝祈願のパワースポットとなっています。

https://www.city.kiyosu.aichi.jp/shisetsu_annai/kanko_shisetsu_sonota/kiyosu_koen.html

《夫婦円満、恋愛、立身出世、必勝祈願のパワースポットとなっています》

ホントかな? 特に「夫婦円満」のところ。
信長はむしろ、生駒吉乃いこまきつのサンと仲良しだったのでは?

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