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え『遠藤さん』

蒲郡のICBCという教会に通っていた。遠藤さんという牧師がいた。というか、今もいる。今は主任牧師である。遠藤さんという人を、僕はどのように形容して良いか分からない。とにかく、ワン・アンド・オンリーな存在なのだ。生き方がロッケンロールなのだ。髪型は「音楽室のバッハ」のようにカールしており、たいていアロハシャツを着て動き回っている。あるときはバイクに、あるときは走行距離30万キロのステップワゴンに、あるときは軽トラに乗っている。最も似つかわしくないのはレクサスだろう。どことなくテンガロンハットとウェスタンブーツが似合う。若き日のクリント・イーストウッドを思わせる。

海外の謎の人と謎のコネクションを多数もっており、もしかしたら諜報機関の人間なのかと思う。道でばったり会った人に突然「君、イエス・キリストって知ってる?」と伝道しはじめる雰囲気がある。というかしていた。いや、今もしているかもしれない。僕の友人は高校生のときにカレーパーティーに釣られて初めてICBCを訪れ、遠藤牧師に出会った時、自己紹介より前に「君、なんでひとりの人間アダムから人類が生じたのに黒人とか白人とか黄色人種がいるんだろうって思ってるだろ! ……それはこういうことじゃんねー」といって、ノアの子どもたちについての講義を聴かされた。友人は内心「いや、そんなこと思ったことないっす」って思ったが、まんまとそのペースに巻き込まれたという。ちなみにその友人はその後クリスチャンになり、今も僕の無二の親友だ。

遠藤さんはアメリカの銃乱射事件よろしく、どこでもところ構わず無差別に伝道する。愛と迷惑の弾丸をところ構わず発砲する。ゆえに僕たちは遠藤さんを「でんどうさん」と呼んでいた。僕の友人をはじめ、あれよあれよと遠藤さんのペースに巻き込まれ、気がついたらアロハシャツを着ていたり、気がついたら無差別に伝道していたりする人間はICBCに多い。これを「遠藤イズム(えんど・いずむと読む)」に当てられた状態、という。国語辞書には載っていない。遠藤イズムに当てられると、純粋に神を愛し、純粋に神の愛を伝えるようになる。そして変な形のバイクに乗って遠出したり、車中泊で遠方に災害支援に行ったりしはじめる。おそらくこれを別の言葉で「弟子訓練」という。遠藤さんのような牧師を僕は他に知らないし、なんて素敵な牧師なんだ、と思いながら20年間、ちょっとだけ遠巻きに見ている。低線量の被曝でも長時間だと健康被害があるように、きっと僕も遠藤イズムに当てられたのだろう。おかげで僕もいつも隙あらば伝道してやろうと、心のテンガロンハットと心のワルサーP38に手をかけいつも愛の弾丸をスタンバイしている。


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