誕生日に特に感慨がない
生まれた日のように、
賢くなれたらどんなにいいだろうといつも思っている。
―――――ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
▼▼▼今日は誕生日▼▼▼
今日(11月28日)は僕の誕生日だ。
半ば意図的に、
半ば偶然に、
僕は今日、上野で人間ドックを受けた。
けっこう久しぶりで、
前回受けたのはもう4年前とかになるだろうか。
自治体から通知が来るタイプの通常の健康診断も、
その間、何回かは受け、何回かは受け忘れ、
何回かは面倒くさくて受けなかった。
別に長生きしたいともさほど思っていないけれど、
定期的に身体の状態をモニターすることは、
義務だと思っている。
何と言っても予防にかける金と時間は、
治療にかけるそれよりも10倍以上コスパが良い。
妻も子どももいるわけなので、
簡単には死ぬわけにはいかず、
前にも書いたけれど僕を守ってくれる組織など地上に存在しないので、
僕は自分で自分を防衛しなければならない。
「ちょきん(筋肉と貯める)」と、
健康診断は、僕が神様のためになるべく長く、
良い状態で働けるようにメンテナンスするための、
管理者としての義務だとは思っている。
僕の身体は僕のものではない。
神様から80年ぐらいリースされている、
「借り物の身体」だ。
やがて天地が刷新されるとき、
この身体はアップデートされる。
そのアップデート具合はもう、
10年落ちの軽自動車から、
5000万円超えのロールスロイスぐらいの差があるらしい。
「80年レンタルしてたあれはいったい何だったんだ」
というぐらいに。
N.T.ライトという神学者が本に書いてた。
じゃあ80年間リースの身体は粗末に扱って良いかというと、
そんなわけがない。
んなわけあるかい!である。
軽自動車を貸した結果大切にしなかったオーナーに、
神様はロールスロイスを任せるかって話しだ。
80年間リースの身体で、
僕たちは神に試されているのだ。
だから僕は筋トレするし、有酸素運動するし、
食事にもほんのちょっと気を遣うし、
いっぱい寝るし、定期的に検診を受ける。
これとまったく同じことが、
僕たち人類が借りている「地球」という惑星にも言える。
やがて新天新地に刷新された時、
僕らはその美しさ、調和、荘厳さ、偉大さに、
息を飲むだろう。
「あのCO2でヒーヒー言ってた地球は何だったんだ」
ってぐらい。
じゃあ今の地球は粗末に扱って良いかというと、
以下同文。
神様は軽自動車を粗末にする管理者に、
ロールスロイスは任せたくないのだ。
これは僕が以前翻訳した本、
『万物のいやし』のなかで、
アメリカ人の牧師・ジョン・サンフォードさんが言ってた。
(本、買って下さい)
▼▼▼厭世的でもスターでもなく▼▼▼
何の話だっけ?
そうそう、人間ドック。
結果は2週間後に郵送されてくる。
その結果いかんによっては、
もうメルマガとか書いてる場合じゃない、
ってことになるかもしれない。
そのときは、
リース期限が切れたということなので、
あとはこの地球をよろしく。
僕の分まで、なるべく大切に扱って欲しい。
そんで、
人間ドックのついでに受けられるというので、
インフルエンザの予防接種も三年ぶりに受けた。
別に長生きしたいわけでもないのだけど、
神様が貸して下さってる身体なので、
大切にお返ししたいとは思っているから。
話を最初に戻す。
誕生日の話。
11月28日、今日は僕の誕生日だ。
かの有名な『ガリヴァー旅行記』を書いた、
スウィフトという作家は、
とても厭世的な人物で、
最後には精神が崩壊して亡くなっている。
この人は毎年、
自分の誕生日には、
旧約聖書「ヨブ記」の3章を読む習慣があったのだそうだ。
そこには、
「私の産まれた日は呪われよ」と書いてある。
厭世的がメーターを振り切っている。
僕にはこの気持ちが、
本当にほんのちょっとだけ分かる。
うつ病という持病を抱えていたり、
なんかいろいろ生きてるだけで大変だったり、
毎年、「来年も収入があるかどうか分からない」
という生き方を続ければ、
だんだん息切れしてくる。
もう、ええわ!
と思うこともある。
反面、僕がスウィフトと違うのは、
ネガティブな側面とまったく同じだけ、
いや、ネガティブ:ポジティブ=49:51で、
やはり人生は素晴らしいという結論になるぐらいには、
僕はこの世の中を愛おしいものだとも思っている。
妻の優しさや信仰の姿勢や生き方は素晴らしいし、
二人の娘の笑顔は世界一愛らしい。
僕の友人たちは僕よりもなお勇敢に生きているし、
このクソ世界をちょっとでも良くしようと、
めげずに夢を描いて戦っている。
ダメージを受けているとは言え、
海は青く、空は高く、木々は暖かく、
自然界は雄大で神聖だ。
こんな僕の活動を時々褒めてくれる人もいるし、
こんな僕のPodcastやメルマガで、
「救われた」と言ってくれる人がたまにいる。
この世界はやはり、生きるに値するのだ。
ただ、僕は毎年、誕生日に照れている。
僕は照れ屋でシャイなのだ。
誕生日を祝ってもらっているとき、
どんな顔をして良いか分からない。
「僕が生まれた日、
みんな嬉しいでしょ」
みたいな顔で120%のスマイルができる人は、
それはもう選ばれたスターなのだと思う。
そういう人は「愛される才能」がある。
その才能をどうか天に感謝してください。
僕のようにそういう才能に
恵まれていない人もいるのです。
ほら、僕って「基本仕様」が太宰治だから、
「生まれてきてすみません」
っていつも思っている。
「恥の多い生涯を送ってきました」っつって。
だから、祝われていると、
なんか逃げたくなってくるのだ。
いやいやいや、マジでやめて下さい。
皆さんのお目汚しになるだけなんで、と。
スウィフトほど厭世的ではないが、
「自分の誕生日会を自分で主催する」ほど、
「愛される才能」のオバケでもない。
丁度真ん中ぐらいにいる。
だから、つまりそれは、
「ちょうど無風」ってことで、
つまり普通の日とテンションがまったく変わらない。
▼▼▼やなせたかしさんの人生観▼▼▼
そんな僕ですが、
45歳になりました。
ひとつだけ誕生日に特別なことがある。
それは、
父親の陣内学が死んだ年まで、
あと7年か、、、
と心の中で数えることだ。
これは親(特に同性の親)を若くして亡くしてる人なら、
共感してくる人もいるんじゃないかと思うのだけど、
僕は52歳を超えて生きている自分を想像するのが、
いつも難しいと感じる。
極端な表現をすると、
「自分は52歳で死ぬ」と思いながら生きている。
自殺願望だとかそういう話とも違うし、
先ほどのスウィフトの狂気とも違う。
親がいなくなった年齢で、
人生というスゴロクが行き止まりになっていて、
そういうルールになっているような感覚が、
自分のなかの「あたりまえ」になってるというか。
これは本当に、
親を早くに亡くした人で、
なおかつこういうことを考える部類の人にしか、
分かってもらえないと思うから、
あんまり人に話すこともないのだけど。
だからもし僕が52歳を超えて生きるようなことがあれば、
つまりは僕の身体のリース期間が52年以上だとしたなら、
それ以降は「ボーナスステージ」だと思って過ごすんだろうな、
というふうに思っている。
毎年、「なぜ自分がまだ生きてるのか分からない」
という感覚で。
実は鬱から回復した時にも思った。
あの鬱で僕は死んでもまったく不思議ではなかった。
うつ病の致死率は心臓病とか癌にひけを取らないぐらい高いから。
でもなぜか僕はサバイブして今も生きている。
だとしたらこの人生は「グリコのオマケ」みたいなもので、
もうボーナスステージに突入しているのだと。
そういう人生観を持つと、
実はけっこう良い事がある。
失敗が怖くなくなるのだ。
もう死んでるゾンビだから、
もう一回死んだとて、、みたいな感じで。
これはこれで清々しい。
これは、僕の尊敬する2人の漫画家が、
まったく同じことを言っていた。
アンパンマンの作者のやなせたかしさんと、
ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげるさんだ。
やなせたかしさんは若い頃自殺を試みたほど人生に悩むタイプで、
その後、戦争に行って仲間は死んだのに自分だけ生き残った。
「あぁ、これは神様がオマケをくれたんだ」と思った。
水木しげるさんも南方戦線で戦友が全員死んで、
生き残った戦後は「オマケの人生」だと思って生きていた、
と書いている。
あの二人が、
なぜあんなに肩の力が抜けているか。
その理由は「地獄を見た」ことにある。
僕もまた、
水木しげるさんや、
やなせたかしさんみたいに、
水にたゆたう木の葉のようにたおやかに、
この人生を生きていきたいと思っている。
この水がどこへ僕を連れて行ってくれるか、
それは完全にもう、神様におまかせしている。
神様、僕に人生を与えてくださり、
どうもありがとうございます。
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参考文献および資料
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『モノやお金がなくても幸せに暮らせる』ヘンリー・D・ソロー 星野響(構成)
『驚くべき希望』N.T.ライト
『ガリヴァー旅行記』スウィフト
『万物のいやし』ジョン/マーク・サンフォード 陣内俊訳
『人間失格』太宰治
『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記』水木しげる
『アンパンマンの遺書』やなせたかし
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