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僕の弟


長子は、やるべきことをやる
末子は、やれそうなことをやる
中間子は、みんながやらないことをやる
一人っ子は、やりたいことだけやる
――――『不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち』五百田達成 78頁


▼▼▼僕の弟▼▼▼

僕には姉と弟がいる。
3人きょうだいの真ん中の僕は、
「3人きょうだいの真ん中だなぁ」
という性格をしているといつも思う。
他者の想像の斜め上を行く。
別に斜め上を行こうと思っているわけではないのだが、
「世間の期待とかマジで関係ねぇし。
 人の目を気にするとか、バカじゃねーの」
とふてぶてしく生きていたらいつのまにかこうなっていた。

「みんなやってるよ」
と言われればやりたくなくなるし、
「誰もそんなことしないよ」
と言われれればやらなきゃ気が済まなくなる。
日本のCMの99%は要約すれば「みんな買ってるよ」だから、
僕にとってはすべて逆効果だ。
僕はそのおかげで無駄に散財せずに済んでいる。

さて。

今日、1月13日は、
僕の弟の誕生日だ。

僕の弟は1980年生まれ、
僕は1977年生まれ。
弟が早生まれなので、
学年は2つ下になる。

ちょうど僕の長女と次女が、
2017年9月生まれと、
2020年1月生まれで、
学年2つ違いなので、
ほとんどおんなじ感じの年の差だ。

僕の弟は本当に優秀で、
プリンストン大学でマクロ経済学の博士号を取り、
今は東京にある国立大学の准教授で、
最近は日本経済新聞に連載していた。

ちょうど『マイ・ウェイ』の日記で
岡山県立倉敷南中学校の話を書いたからかもしれないけど、
弟のことを思い出した。

もし僕に弟がいなければ、
僕の人生は今よりかなり酷いものになってただろうな、
と結構、頻繁に思う。
弟はそんなこと思ってないかもしれないけど、
弟は僕の命の恩人なのだ。

具体的に川で溺れていたのを助けてもらった、
とかそういうことじゃない。

これは言語化が難しいのだが、
弟が僕のことを同じように思っていたかどうかは別として、
僕はこういう風に思っている。

小学生から中学、高校に至るまで、
僕には親しい友人が何人かできたが、
それらの友人との「親しさ」を、
D~Aランクでランク付けしたとする。
(僕との親しさのランクであり人間のランクとは関係ないし、
 そもそも人間にランクなんてない)
クラスメイトで同じ班になれば仕方なく話す奴をDランク、
学校でいつも一緒に便所に行き、
平日の午後に街でゲーセンに行き、
休日にボウリングに行く友人をAランクとすると、
僕の弟はそれのさらに上の「Sランク」にいた。

それぐらい、
「あらゆる親友より距離の近い親友」だった。
これはあくまで僕からの視点であり、
弟の視点からすると、
「早く消えてくれれば良い」兄貴だったかもしれない。

男兄弟同士にありがちな話として。

子どもの頃の2歳差というのは、
身長にしても腕力にしても知力にしても、
それはもう圧倒的な差があるから、
世間のクソ兄貴のご多分に漏れず、
僕も弟を腕力とずる賢さで権力関係の元においていた。
よく僕の母親が、僕と弟は、
「子犬の兄弟のように仲良くじゃれ合っていた」
と細い目で思い出しているが、
これは同床異夢で、
僕にとっては弟は「親友」。
弟にとっては僕は「権力の象徴」だったかもしれない。
聞いたことないから分からんけど。


▼▼▼男兄弟の神話的軋轢▼▼▼


そういった、
男兄弟同士にありがちな、
エサウとヤコブ的な、
カインとアベル的な、
神話的軋轢を僕たちも体験した。

弟が褒められれば妬んだし、
例えばおやつを半分に分けたとしたら、
いつも出し抜いて大きな方を僕が取った。

マジで懺悔してたら、
まる2日じゃ足りないぐらいの罪を、
僕は弟に対して負っている。
おかげで教会で「あなたは罪人」って言われたとき、
「知ってますけど?」と思った。
「でしょうね」と。
何を今更当たり前のことを言ってるんだろう。

そんな神話的軋轢はいったん脇に置くとすると、
それでもやはり、外から見ても、
僕と弟は特別に仲が良かったと思う。
男兄弟がいる友人は周囲にいたが、
僕と弟ほどよく遊んでいる兄弟は少なかった。

「一緒に遊ぶ相手」として、
ファーストオプションはいつも弟だった。
中学や高校になっても、
時々週末にチャリで出かけてラーメン食べたりしていた。
ファミコンを一緒にやった時間は誰よりも長いし、
一緒にボールを追いかけた時間も、
一緒にキン消しやミニ四駆で遊んだ時間も誰よりも長い。
狭い団地住まいで、ずっと一緒の部屋を共有していたから、
同じ部屋で勉強をし、同じ部屋で少年ジャンプを読み、
同じ部屋でひたすらに遊び、
遊び疲れると同じ部屋で一緒にぼーっとした。

何度も言うが弟から見たときにどう見えていたかは分からないが、
僕から見えていた風景では、僕は18歳まで、
毎日、親友とお泊まり会を開催していたようなものだ。

寝る前は布団に入ってから30分とか1時間、毎日バカ話をした。
岡山県に住んでいた頃、
ローカル局でやってた、
甲本ヒロトの弟で俳優の甲本雅裕がパーソナリティを務める、
「どけーいきょーん?」という地元局のラジオ番組を、
毎週楽しみに隣の布団で一緒に聞いていたこともある。
今僕がラジオのヘビーリスナーなのはその頃の経験があったからかもしれない。
寝る前に話が盛り上がって腹痛いぐらい笑っていたから、
母親が頻繁に「早く寝なさい」と言いに来た。

そして時々、人生について語り合ったりもした。

数少ない、弟と人生について語り合ったことは、
いまだに僕の人生を形成する骨組みとして残っている。

それに引き換え、
僕は弟に何も良いことをしてこなかったなぁ、
と思っている。
迷惑ばかりかけたなぁ、と。
「コイツさえ居なければ」と、
何度も思わせちゃっただろうなぁ、と。
「人生二周目」があったら、
もっと違った風にするんだけどなぁ、と。
悪い、オレは人生一周目だったんだわ。

申し訳ないような恥ずかしいような、
そんな甘酸っぱい気持ちとともに、
僕は弟と過ごした思春期をいつも振り返る。

そして、それをなるべく直視するようにしている。

「お前はこんなにもクズだぞ」と思うから、
もういちど人生があったら絶対に違う風にすると思ってるから、
今、僕は「弱い人のために発言する」ことをしているのかもしれない。

立場の強い人と弱い人がいたら、
常に弱い人の側に立とうと心に決めている。
持てる者と持たざる者がいたら、
常に持たざる者を代弁したいと思っている。
抑圧者と非抑圧者がいたら、
いつも非抑圧者の側からものを見たいと思っている。

そのために、僕は病気で弱くなり、
「労働貴族」の公務員を辞めて、
フリーランスの持たざる者になったのかもしれない、とすら思う。

「貧しい者は幸いです」とイエスが言ったのは比喩ではない。
本当に、文字通り、非抑圧者の側は幸いだと言ったのだ。
非抑圧者の側のほうが真理に近づけるポジションにいるから。
ピエール・ブルデューという社会学者はこれを、
「排除された者の明晰さ」と名付けた。
排除する側はいつも愚鈍で、差別の構造が見えない。
いや、見ないようにしている。
排除された側にだけ構造的差別がハッキリ見えている。
だから排除された側にいたほうが真理に近い。
それだからイエスは非抑圧者は幸いだ、
と山上の垂訓で言ったのだ。
田川健三という新約聖書学者が、
『イエスという男』という名著に書いている。

話を戻そう。

僕が今こうして、排除された者たちと連帯する人生を選んだのは、
過去への悔恨と懺悔の気持ちがあるからなのかもしれない。
腕力で押さえつけられて何も言えなかった弟の側に立って、
家庭内独裁者の「中学生の陣内俊」に、
蕩々と反論を述べることで、
僕は過去の償いをしようとしているのかもしれない。


▼▼▼人生最初の友達▼▼▼


弟がいなかったら、
僕の人生はまったく違ったものになっただろう。
人生観を形作ることにおいても、
信じられないほどの時間差をおいてではあるが、
排除された者の視点に立つことができ、
残りの人生でそれをやり直そうとしている点においても。

しかし、弟が僕を救ってくれた、
と僕が考える主な理由はそれらではない。
それら以上に、
弟がいてくれたおかげで僕がいる、と思うのは、
「僕の人生の最初の友人」になってくれたからだ。

僕には人生で誇れるものがあまり何もない。

本当に。

何も「勲章」をもっていない。
実績もない。
ポジションもない。
肩書きもない。
富もない。
知名度もない。

人を黙らせる何ももっていないから、
しかるべき場所に行けば、
ちゃんと玄関マットのように扱われる。

しかるべき人々の琴線に触れるものを、
何も持っていないから。
かくしてイエスのたとえ話に出てきた、
婚礼には招かれたが上下スウェットだから追い出された男のように、
僕は「しかるべき場所」では透明人間になる。

僕は「在野の○○」と言われるに相応しい人物だ。

なぜ在野かというと、
建物に入れないから。
それだけだ。
好き好んでこうしているわけではない。
生まれながらのバプテスマのヨハネなのだ。
守ってくれる組織がないから、
いつか権力者のお盆の上に、
はねられた首が載るかもしれない。

格好つけマン、
岡山弁で「えーカッコしー」の、
岡山の漢だから、
「それで上等」と思っている。

THE BLUE HEARTS『少年の詩』(甲本ヒロト作詞)の、
「大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない」
をというパンチラインを聞いて雷に打たれたときから、
僕の人生は勲章からは遠ざけられたのだ。

そんなわけで、僕には何もない。

だけど、僕には誇れるものが一つだけある。

それが僕の友人たちだ。

僕には本当に素晴らしい友人たちがたくさんいる。
その一人ひとりを誰かに自慢したいほどに、
素晴らしい人々だ。
老若男女、日本人もいれば海外の人もいるが、
それらの人々は本当に素晴らしい。
生き様や心根が、気持ちの良い人々ばかりだ。
それぞれが価値ある人生を生きている。
自分より他者のために役に立ちたいと、
命を燃やしている人々たちだ。
「オレはこの人の友達なんですよー」と、
周囲に自慢したくなるような素敵な人々だ。

人生という雪山を転がり落ち続けたら、
いつのまにか雪の大玉ができてたみたいな形で、
僕の仲間は増えていったのだが、
雪玉が雪玉になる前の「最初の小さな石」が、
僕の最初の友達、僕の弟だったのだ。

弟がいてくれたから、
僕は「他人と遊ぶとはどういうことか」
ということを知った。
弟がいてくれたから、
僕は「他人とけんかするとはどういうことか」を知った。
弟がいてくれたから、
僕は「自分と違う他者と、違うということを知った上で、
なおかつ一緒にいて学び合う」ということを知った。
弟がいたから僕は友人から影響を受けることを知ったし、
他者に自分を開示することを学んだ。
それは怖いことじゃないんだ、と。

HSPの僕は社交が得意ではない。
生まれながらの哲学者の僕は、
気難しいので人間関係の間口が極端に狭い。

そんな僕がそれでも素晴らしい友人に囲まれているのは、
弟という「最初の友人」に出会えたからだ。

弟のいない世界線に生まれていたら、
今の僕は中高年引きこもりになって、
年老いた親の年金で生活していたかもしれない。
わりとガチでそう思う。
それほどにむき出しの僕は社会とソリが合わない形をしている。
発達に偏りがありすぎるから。

弟がいてくれたから、
僕はこの社会にいられる。

アメリカのドラマ『THIS IS US』で、
男女三人兄弟のなかの兄と弟、
大人になったケヴィンとランダル(養子)が、
悪夢のようなケンカをする。

玄関の前でケヴィンがランダルに言う。
「お前が我が家に来た日は、
 オレの人生で最悪の日だ」

僕は言おう。
弟が生まれた日は、
二つある、僕の人生最良の日のひとつだ、と。
もう一つは妻と結婚した日だ。

そんな弟は今、
わりと近くに住んでいる。
こんなに近くにすんでるのに、
コロナとか子育てとか仕事の忙しさとかで、
この2年ぐらいあまり会えてなかったことを、
去年猛烈に後悔した。
ふと「今死んだら何が一番悔しいかな」と思ったとき。
「弟とあんまり頻繁に話せてないことだ」と思った。

年末に弟を飲みに誘った。

2時間、時間が巻き戻され、
あの頃の寝る前のバカ話の続きを僕らはした。
「また来年もこういうのやろうよ」と言って、
弟の好きな「吉田類の酒場放浪記」のロケ地にもなった、
塩レバーが絶品の国分寺の焼き鳥屋の前で別れた。

人生は思ってるより短い。

ケヴィンとランダルはその後和解をし、
前よりも強い絆で結ばれた。
きょうだいを持つ最良のメリットは、
「ケンカして和解すると、
 前よりも仲良くなる」
という、「友情の黄金ルール」を学べることだ。

僕と弟は別にケンカしていたわけではないが、
世の働き盛り子育て氷河期世代の常として、
多忙さが関係を冷ましていた。
また友情の時計を動かさなきゃ、
と思って去年の年末に焼き鳥屋に行った。

ヤコブは苦労したが、
それでもエサウのいた人生で良かったと思ったはずだ。
エサウもまたヤコブに出し抜かれたが、
それでもヤコブに救われた部分もあるはずだ。

僕には娘が二人いる。

同性のきょうだいがいることは、
本当に神からの祝福だと僕はこの身で知っているから、
長女に親としてしてやれた最大のプレゼントは、
彼女の妹だし、
次女にしてやれた最高の贈り物は彼女の姉だと思っている。

ふと考えた。

30年後とか40年後、僕が死ぬ前に、
長女と次女に最も望むことの一つは、
大人になったふたりが仲良くあってくれることだよな、と。

大人になった僕と弟が仲良くあることが、
彼女たちにそれを教える一番の方法だよな、
と思って去年、弟を誘って焼き鳥屋に行った。
それは「とても重要だけど緊急ではないこと」
という、人生のカテゴリで最も大切なことだった。
本当にやっておいて良かった。

そしてこれからも続けようと思う。

1月13日は弟の誕生日だ。
僕の人生の最良の日だ。

終わり。

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参考文献および資料
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・『イエスという男』田川健三
・『これからの男の子たちへ』
・『不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち』五百田達成
・『ひといちばい敏感な子』エイレン・アーロン
・ドラマ『THIS IS US』



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