昔見たドキュメンタリーの話

2008年12月にBS世界のドキュメンタリーで「エルサレム ふたりの少女 ~自爆テロ 母たちの対話~」という作品が放送された。
当時の番組ホームページでは、こんなふうに紹介されていた。

エルサレムに住み、何不自由なく青春を謳歌していた17歳のイスラエル人、ラヘル。
自爆テロで殺されたラヘルの死を受け入れられない母アビガイルは、加害者の母を捜し出し、その無念を訴えたいと考えていた。
アビガイルは、友人や聖職者に相談し、自分は何を自爆テロ犯の母に問いかけようとしているのかを冷静に見つめようとする。

一方、自爆テロを実行したパレスチナ人のアヤトはラヘルと同じ1984年生まれの18歳。
ヨルダン川西岸地区のドヘイシェ難民キャンプで死や恐怖と隣合わせで暮らしていた。
成績優秀で婚約者もいた。
自爆テロの直前に声明をビデオに収録していた。
結婚前の娘がなぜ?とアヤトの母は今も自らを責めている。

2006年、中継のモニター画面を通じて二人の母同士の対話が実現する。
アビガイルはアヤトの母に「自爆テロを繰り返しても暴力が暴力を生むだけ。パレスチナの若者に自爆テロをやめるよう訴えて」と主張する。
しかしアヤトの母は、「イスラエル占領下でパレスチナの人々がいかに抑圧されてきたかを知らなければ娘の行為は理解できない。イスラエルはパレスチナの土地を奪った」と反論し、対話は平行線を辿ったまま終わる。

番組ホームページより

当時のぼくは、こんな感想をmixi日記に書いている。

アヤトの母の言葉が印象的でした。
「娘の死は、価値ある死だ。その死を無駄にしない」
無駄にしないからこそ、これからもイスラエルに対し、パレスチナの人々は自爆テロを行うだろう、と激しい口調で訴えていました。
アヤトの母にとって、娘の死は、パレスチナの尊い犠牲だったわけです。
一方で、イスラエルに住むアビガイルにとって娘の死は、テロの犠牲でした。
「母親として娘を失う痛みはわかるはずです」
とアビガイルは何度もいっていました。
「だから、あなたが自爆テロをやめるようにいって」
アビガイルの言葉に、アヤトの母親は、
「まず政治の問題です」
といい、アビガイルは、
「政治の話ではなく、お互いに娘を失った母親として話をしたいんです」
と何度も繰り返していました。

アビガイルは言葉にしませんでしたが、「わたしの娘はあなたの娘に殺された。わたしは被害者だ。だから、わたしはあなたにテロをやめるよう、要求する権利がある」という気持ちがにじんでいるように、おれには感じられました。
だからアヤトの母親は「政治の問題が先です」と答えたのかなと。
イスラエルとパレスチナの母親の対話が平行線だったのは、争いの真っ最中だったことも理由だと思います。
衛生中継で、相手が目の前にいなかったことも大きな障害となっていたと思います(実際、音声の調子が悪くて、相手の声が聞こえにくいという場面が多々あった)。
ただ、それにも増して、一番大きな原因だったのは、お互いが、相手の話を遮って声を荒げていたことではないかなと感じました。

mixi日記より

というのが当時の印象でした。
ただ、今では若干、その印象が変わっています。
というのも、2008年とは違って、今のぼくは複合差別とかインターセクショナリティ(交差性)について若干の知識を得たからです。

物質的に恵まれ、高等教育を受け、さまざまなキャリアやライフスタイルを選択することができる女性が「抑圧されたもの同士団結しよう」というようなスローガンを用いるとき、フックスはそれが多くの場合「多くの特権階級に属する女性が自分たちの社会的地位と多くの女性の地位との違いを黙殺するための言い訳」であると指摘している(『ベル・フックスの「フェミニズム理論」』)。

小川公代『世界文学をケアで読み解く』より

あくまで私見ですが、イスラエルとパレスチナの問題は、差別的な構造を見なければ、何が問題なのかを考えるときの、とっかかりみたいなものが見つからないのではないかと思っています。
第二次世界大戦後、最初に作られた条約は、人種差別撤廃条約でした。
戦争を防ぐためには、まず人種差別を撤廃すべきだと、あまりにも凄惨な戦争を体験した当時の人々が考えた結果なのだと、ぼくは考えています。

二人の会話はYouTubeにアップロードされていました。
https://youtu.be/NcAWOT-Kl9Y?si=eELqbGp4UkcooEAl


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