火はどこに消えるのだろう

 弱い日差しを反射した葉が波打ち、風が光っているようだった。木の根っこがあちこち隆起している山道には、水たまりが飛び石のように散って、雨上がりの空と樹影を映している。近くに敵の姿もないことから私たちは少しだけ気を抜いて、それぞれがタバコをくわえ、ポリマーフレームのアサルトライフルを肩にかけ、苔むした大木にもたれたり、砂色の石の上に腰かけたりしていた。
 生き物を殺した話を誰かがはじめた。ルールはふたつ。子どものころの話は無効。人間は生き物にカウントしない。
 犬や豚を殺した話が多かった。犬を殺したものは食料として、豚を殺したものは職業として、それを行ったと説明した。
 経済的徴兵制のナラティブが続き、退屈が忍び寄ってきたころ、二十代半ばの若い男が話し始めた。男は以前、道路の舗装工事で藪を刈り払う作業を担当していた。長い金属製の棒の先に、高速回転する刃がついている草刈り機は、草だけでなく細い木の枝も切断し、空き缶も切り裂く。飲み残したジュースが腐っていることもあり、そういう缶を切ると臭い汁が跳ねてズボンや服だけでなく眼にも飛びこむ。藪にはトノサマガエルが潜んでいることもあって、大きなものだと手のひらよりも大きく、切り裂くとぱかんという破裂音がする。真っ二つになったトノサマガエルの下半身は何度か不格好に飛び上がろうとして失敗し、体液をまき散らし、上半身と一緒に痙攣したそうだ。
 私はねずみについて話した。兵役に就く前はドーナツ店で深夜の清掃をしていた。余ったドーナツを廃棄したり、シェイクの機械を分解して洗浄消毒したり、ショーケースのガラスを磨いたり、床を掃いたり拭いたりしていた。ある年の暮れ、店にねずみが出没するようになった。店長は隣のビルの建て壊しの時期と一致していたため、引っ越してきたに違いないと決めつけた。最初に発見されたのはキッチンだ。冷蔵庫の下から出てきて、すぐに隠れる。ねずみと目を合わすものはいなかった。しばらく同じ行動を繰り返すとねずみは大胆になった。キッチンの端から端まで走る。引き返す。キッチンと客席をつなぐドアが開くと、一目散に客席に向かって走り、やりすぎたというように戻ってくる。ねずみがうろちょろするドーナツショップはあまり良い印象を持たれない。店長は想像力が旺盛なタイプで即死する毒物を好まなかった。毒餌を食べたねずみが冷蔵庫の裏や、オーブンの下、排水パイプの影などで死亡して、そのまま朽ちるのがたまらなかったのだ。だから強力な粘着性の罠を冷蔵庫やドーナツの粉袋が重なっている倉庫などに仕掛けた。それから数日後のこと、夜間のアルバイトが深夜一時に帰宅し、私は一人で作業していた。売れ残ったドーナツを捨てていると、倉庫のほうから物音が聞こえた。嫌な予感を覚えながら静まり返った店内を歩き、キッチンを抜け、奥に向かい、灯りをつけた。おそらくねずみは後ろ足が粘着シートにくっつき、それから逃れようとして暴れ、顔や背中をくっつけてしまったのだろう、ずいぶんと捻じれた状態で動けなくなっていた。顔の半分は粘着液にまみれ、片目は塞がり、灰色の毛は濡れているように見えた。もう完全に逃げられない状態だったが、粘着液まみれの前あしを持ち上げて、シートの外に伸ばしていた。触れた箇所にくっきりと粘着の跡が残っている。見えるほうの片目で私をにらみつけ、威嚇するように鳴いた。口の半分も液にまみれているので、開け閉めも難しそうなのに、微塵もあきらめていなかった。生にしがみついてあがくように、シートからはみ出した長いしっぽがあたりをばしんばしんと叩く。背筋が冷えた。怖くてねずみと目をあわせられない。私の仕事は掃除であって害獣の駆除ではない。何も見なかったことにして、その場から逃げた。客席を掃除していると尻尾の音が聞こえる。いつまでも続く。一向にあきらめない。朝までこれを聞くのか。たった一人で。私は足音を忍ばせ、ねずみの視線を避けるように近づいて、その顔にもう一枚の粘着シートをかぶせてサンドイッチにした。鳴き声のボリュームが低くなった。しっぽがひときわ激しく動き、徐々に緩慢になると、まだもぞもぞと動いているそれを摘まみ上げ、ドーナツの粉が入っていた丈夫な袋につっこんで、外のコンテナに捨てた。いつ尻尾が手首にまきつくのかと気が気ではなくて、ほとんど見ないようにして作業したため、生死は確認できなかった。コンテナの前で耳をすましても音はしなかった。店内に戻って作業を再開したが、何かが続いているような感覚があり、頭の片隅ではねずみを気にしていた。六時過ぎにゴミ収集車が店の前に停車し、しばらくして発車した。仕事を中断して外に出る。コンテナを開けた。ねずみが入った袋はなくなっている。それなのに繋がった感覚はまだ残っていた。何もないのが奇妙に思えるほどに。
 沈黙が落ちるまで何人かが話し、静かになってからはウィスキーを回し飲みした。日が沈む前に帰還した。本部は古いホテルを貸し切りにしたもので、湖のそばに建っている。電気は通っておらず、あちこちに蝋燭で灯がともされていた。火は風に揺れ、室内の闇は濃く、外よりも暗い。
 自室に戻って着替え、隣のベッドに目をやる。黄ばんだシーツに点々と黒いものが落ちていて、よく見ると死んだ羽虫だった。ベッド周りにあった鞄や手帳、写真立てがなくなっているのは遺族に送ったからだろう。木村は地雷に足をやられ動けなくなった。敵の攻撃に押され、とどめも刺せずに撤退し、遺体は今も回収できていない。木村はどんな貧しさの詩を口にしただろうと考える。タバコを二本灰にし、横になってサイドテーブルの蝋燭を吹き消した。
 電灯と違い、蝋燭の火は消えてからも痕跡を残す。燃えていた匂いや、薄く細い煙で。時間が経つと、やがてそれも消える。

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