明日のかぐやSF予想

ところでみなさんは「心が折れる」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
なぜ、心という形のないものが、折れるのだと思います?
作家の夢枕獏によると、「心が折れる」あるいは「心を折る」という言葉を最初に使ったのは、神取しのぶだとのこと。
神取しのぶは試合中に自分の目を殴ったジャッキー佐藤の心を折ろうと思ったときのこと、実際にどうやってそれを行ったのかを、こんな言葉で語ります。

 この人は、今まで、一度も、心が折れた音を聞いたことがないなって思ったんだよ。だから、こんな危なっかしい、嫌なことをするんだなって。   だからさ、心を折ってやろうと思ったんですよ。その音を聞かせてやろうと思ったのよ。

(中略)

 腕をアームロックにきめたのよ。まず、そこで痛みがあるじゃん。でも、人間って、痛みだけじゃ降参しないよ。痛みは、ある程度以上、感じることはできないから、それだけじゃ、人間って参らないの。 
 だから、次に、うしろに回した佐藤さんの腕に足を入れて、膝で首の関節をきめたの。これで、彼女は、首が固定されて、自分がどうなっているか見ることができなくなったわけよ。見ることができないって、人間ってすごく怖いものなのよ。自由がなくなったってことじゃん。自分が、これから何をされるのか、見ることもできないってことになったら、人間って、かなり参るんだよ。
 それで、最後に上半身全体を、佐藤さんの肋骨に乗せた。つまり、肺を圧迫したわけよ。これで、彼女は呼吸ができなくなった。息ができないってことは、やっぱ、人間にとって一番の恐怖じゃん。
 だから、ここで、彼女の心が折れたのよ。  
 苦痛と、見る自由を奪われることと、息ができない恐怖と、この三つがそろって、初めて、心が折れるのよ。

井田真木子『プロレス少女伝説 (文春文庫) 』より

この井田真木子のノンフィクションによって、世界で初めて「心が折れる」という言葉が使われ、今では一般的になったのだと夢枕獏。
プロレス発という意味では、ガチンコとかセメントとかと同じなのかもしれません。

第22回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作である『プロレス少女伝説』は、とんでもなくおそろしい本です。
本の中では、神取しのぶがプロレスのショービジネスの部分について会社から説明があったと発言しています。
また、長与千種はプロレスで相手の技を受けるときには「痛み」を表現して観客に伝えなければダメなんだと若手を教育します。長与の言葉は明快で面白いです。痛いと口にしても、痛そうに見えないこともある。痛いと口にしなくても、痛みが伝わることがある。プロレスは痛いという言葉を全身で表現しなくてはダメなんだ、というのが長与の言葉です。面白いので、ぜひ本を読んでいただきたい。

ということで『プロレス少女伝説』はすさまじい本なのですが、時代の制約もまた、受けています。
男子プロレスと比較して、軽視されがちな女子プロレスの地位を引き上げるために、女子プロレスは男子プロレスとは違う、独特なものがあるんだ、それが、それこそが、感情なんだ、と神取しのぶが説明するのです。
この本が出た時代(1993年)にはそういう形での擁護が必要だった。
しかし、現代ではそれが足かせになってしまう。

その足かせを描きつつ、しかし旧来の価値観もまたしぶとく生き残っていて(弱っちいレスラーだと思われる主人公の苦悩はそこにある)、そういった二重の苦悩を描いているのが、「勝ち負けのあるところ」だとぼくは感じました。
しかも、トランス女性とのシスターフッドでもあるところにもしびれましたし、それでいてめっちゃ明るいところに途方もない魅力を感じました。

長与千種は、プロレスは言葉なのだ、と若手を教育します。

チコさん(長与選手の愛称)はね、プロレスは言葉ですよと言います。相手にフォールされたときに跳ね返す。これは言葉でしょう。跳ね返す選手をみて、お客さんは、負けないぞ! という言葉を感じるでしょうと言います。リングの上での動きは、全部、言葉なんだよ。口に出す言葉ではないけれども、これも言葉なんだよって。

井田真木子『プロレス少女伝説 (文春文庫) 』より

「勝ち負けのあるところ」という作品は、プロレスの「言葉」で宇宙人とのファーストコンタクトが成立するというプロレスSFで、そのアイディアも最高です。
ぼくは重度のプロレスファンなので、この作品に大賞を獲って欲しい。

読者賞は「マジック・ボール」(好感度が抜群だったので)、審査員特別賞は「叫び」(何か賞を与えなくちゃいけない作品だと思うので)かなあと思います。

でもまあ、ぼくは自分の好みに従って、「勝ち負けのあるところ」一点買いでお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?