これから三冊の本を紹介します

 みなさんご承知のように、天を支える六本の柱は謎に包まれています。遠くに見える柱は天から落ちてきた長い糸のようです。細くて、きらきらと光っている。地面や天とどのように接合されているのか。材質は何なのか。考え始めると興味はつきません。幼いころ、柱があんなに細くて天が落ちてこないか父に尋ねたことがあります。「遠くにあるんだよ」父は優しく教えてくれた。「ずっとずっと、ずっと遠くにあるんだよ」と。それを聞いて以来、私はいつか柱を越えたいと思ってきました。もちろんそんなことを考えるのは有史以来私一人だったわけではありません。最初に紹介する本は、『無茶で多様な試み』というノンフィクションです。
 これ、私が人生で最初に読んだ本です。図書館で何気なく手に取って、すぐに借りました。だって私と同じような無鉄砲な夢にとりつかれた人たちが紹介されていたからです。駱駝を使って砂漠を十年かけ続けた人。六組の夫婦でキャラバンを組み、第一世代が他界したあとは第二、第三、第四世代まで旅を続けたものたち。あるいは身体をナノロボットで改造し、ほぼ不老不死の状態にエンハンスしたものもいました。当然ですがそれらの試みはどれも失敗に終わっています。ラクダは十年でつぶれてしまい、戻ってこられませんでした。六組の夫婦とその子孫たちは最終的に近親相姦となってしまい、旅の目的を見失ってしまったのです。エンハンスした不老不死の男は、いつまで経っても柱が近づかず、自分が前に進んでいるはずなのに、いつの間にか真後ろの柱に向かって進んでいるような気分に陥ってしまいました。一度そうなると、どうやってもその疑念が拭えず、前後の感覚を失ってしまったのです。結局、不老不死の男は一歩も動けなくなってしまい、今も棒のように突っ立ったままだそうです。それらの旅は全て、個人個人の目の奥にいるナノロボットによって中継され、記録されたのです。もしも私が旅に出たら、やっぱり途中で死んで、本に記されるのでしょうね。私の旅も誰かに読んでもらえるのだと思えば、あながち悪いものでもないような気がします。
 これで少しだけ本に興味を持つ人も出てきたのではないでしょうか。
 もちろん、本なんて読む必要はないと思う人も多いかと思います。私のように本という形に執着を覚える人は少数派ですからね。内容をインストールすればいいのに、どうしてページをめくって文字を追わねばならないのかと思う人も多いでしょう。そういう人には「中国語の部屋」という言葉を知っておいて欲しいのです。あるいは、これを見て欲しい。後ろのほう見えますか? ボードの文字は手書きです。「彫漆蒟醤草花文鼓箱」は、「ちょうしつきんまそうかもんつづみばこ」と読みます。さっそく調べた人がいるようですね。意味は、あなたがインターネットで調べた通りです。黒と黄色でデザインされた小箱ですね。滑らかな曲線で植物が端正に表現されている。とても好きな作品です。彫漆とは漆を彫刻することです。古代中国の技法です。蒟醤は古代タイから伝わった技法ですね。どちらも技法であるのに注意が必要です。伝統工芸の作品は最初に技法を記すんです。これは検索上位にはない情報です。これも検索上位には表示されない情報ですが、この鼓箱が製作された時代には画像データを送る方法がなかったそうです。意味がわかりませんよね。私も想像するのは難しい。絵で表現する方法もあったでしょうが、誰もが上手な画家ではありません。画像がないと品物の外観がわかりません。だから文字データのみで遠方の人に内容を伝えるため、最初に技法を記したのだろうと言われています。どうして材質ではなかったのかは、わかっていません。ご承知のように、ルールのルールについてはわからないからです。紹介したい二冊目の本は『伝統工芸とは何か?』です。
 もう一度、「彫漆蒟醤草花文鼓箱」のボードを見てください。最初の四文字、「彫漆蒟醤」が技法であるのは説明しました。また「鼓箱」というのが鼓を入れる箱であるのもわかると思います。これは用途や形を示しているのです。残る三文字、「草花文」とは草花の文様を意味します。つまりここでは文様のデザインを説明しているのです。この本では、最初にこういったルールを教えてくれるんです。知識を得た目で見ると、「彫漆紅花緑葉紙文庫」は彫漆の技法で作られた紙文庫なのだとわかります。紅花緑葉は文様に関する情報ですね。このルールはどんな作品にも共通しています。彩色蒟醤料紙硯匣。堆黒松ケ浦香合。存星瑞鳥之図食籠。香合とは香を入れる箱、食籠とは菓子などを入れる容器です。有名な曜変天目も、天目茶碗であり、なおかつ、曜変であるという意味なんです。
 ARを使えばオンライン経由で意味は即座にわかります。でもそれは隠された法則を知り、意味に自力でたどり着くのとは全然違うと思うのです。
 情報はインストールできても、メタ情報はそのままではインストールされません。当然、メタメタ情報もです。脳内の情報をタグで整理するのが苦手な人は多いと思います。社会問題にもなっていますね。そういったことにも通ずる話かと思います。
 この本の第四章は、失われてしまった伝統工芸の技がどうやって復元されたのかという事例に丸々使われています。
 奈良県にあったという巨大な大仏の製作法は知る人がいなくなってしまい、技術者が探求しなければならなかったのです。廃仏毀釈のような運動によって失われたものもあれば、江戸幕府がなくなったことで各地の窯元がいっぺんに廃業してしまったようなケースもあります。一寸先は闇なのです。
 ところで足元を見てください。ちょっと汚れていると思いませんか。三か月前から掃除ロボットの周回頻度が減ったからです。予算カットによる弊害です。ロボットは文句をいいませんから、こういうカットは割と簡単に行われます。記憶に新しいところでは、電子データの消去が問題となったのも、似たようなケースです。あれは予算カットによって人手が足りなくなったヒューマンエラーでした。
 データは事故によって消えてしまいます。しかし、物は残ります。漆は千年持つんです。漆の被膜が残っていれば、技法の探求は可能です。磁器や陶器も破片の断面からどのような上薬が使われているのか、土の色は何色なのか、などの情報を採取するのです。本は燃やされてしまうこともありますが、そのためにはかなりの労力を要します。物を消すのは大仕事なのです。
 そして、もっと消えないのは人の知識です。人は簡単に消せません。だから知恵を長く繋げようと思えば、人から人へ伝えるのが一番確実なんです。私たちは声を伝えていく存在になれるのです。知恵を身体に沁みこませ、先の先へと伝えていく。そういう存在になれるのだとこの本は教えてくれます。
 考えてみてください。もしも十字軍の遠征によって散逸したはずのアリストテレスの著作がイスラム世界で再発見されなかったら、デカルトがアリストテレスの本を踏むこともなかったでしょう。すると、デカルトは「コギト・エルゴ・スム」とは言わなかったかもしれず、そうなると世界はまるで違ってしまい、並行世界のようになっていたかもしれません。
 この本は知識とはそれほどに世界を決定してしまうのだと、私に教えてくれました。
 最後は最近の本です。ええ、おっしゃりたいことはわかります。本はね、今も出版されているんですよ。ご紹介したい三冊目の本は『地球儀の世界』です。ああ、何人かうなずいていらっしゃるかたもいますね。これは話題になったからダウンロードされたかたもいるかもしれませんね。
 これは現存する地球儀について、写真と説明文とで紹介する本です。眺めるだけでも奇妙な面白さに浸れます。巨大なものもあれば、小さなもの、天然石で作られたもの、木製のもの、金属製のもの。ありとあらゆる地球儀が登場します。地球儀が、くるくる回転するのだと、この本で私は初めて知りました。これも一種の伝統工芸だと言えるかもしれませんね。
 巻末に寄せられている「地球儀について」という短い論文も素晴らしいです。特に、会話体で書かれた導入部が私はとても好きです。少しだけ、そこを朗読します。
《「不思議ですね」
 アキは言って、ひとつの地球儀に触れた。くるくると球体が回る。
「どうして昔はこういうものを作ったんでしょうか。丸いなんて」
「色々な説があるね。果てがないという説が気に入ってるんだけど」
「ああ、丸いから地の果てがないのか」
「昔は遠くまで移動できなかったんだろうね」先輩が指を伸ばし、地球儀に置いていた私の指さきに触れた。「地面が球体だという想像力には驚くよ」
「でも想像力があるのなら、地が丸いなどとは思わなかったはずです」
「そうかな。例えば?」
「地が丸いのなら天を支える八本の柱は、遠方にありすぎて見えないはずですよ」
「それはそうだね」
「あとは例えば砂漠を横断してきたキャラバンが掲げる旗印も、遠くから近づいてくるときは一番高く掲げられている旗が最初に見えることになします。それから徐々に旗竿が現れ、最後にラクダと人が目に映るはずです。でもそうじゃない。だから地面は平らなんですよ」
「アキの想像力には驚くね」》
 引用は終わります。ここだけで、読んでみたくなったかたもいらっしゃるんじゃないでしょうか。そう思ったなら、ぜひこのビブリオバトル終了後に、図書室に来てください。
 私の発表はこれで終わります。最後に指導してくださったエンドウ先生に感謝をささげたいと思います。
 先生は、隣のクラス担任のエドワード先生だけには絶対に負けたくないとおっしゃいましたね。だから私、絶対に負けたくないと思って書いたんです。
 え、これを事前に見せなかった理由ですか? だって照れくさくて。どうしてそんなに慌ててるんですか先生?

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