少年A

猟奇的な殺人事件。加害者の人生を遡ってみるとお決まりのように、幼少期の環境に目を背けることのできない大きな問題がある。

小学生の頃に劣悪ないじめに合っていたなんてことはよく聞くことだと思う。いじめの原因なんて、少し変わってるからとか運動神経が悪いからとかそんな些細なことが発端だ。
最初はみんなで無視をしてみる。物を隠してみる。頭を叩く、物を捨てる、殴る蹴る。段々エスカレートしていく。

これだけじゃ少年は人を殺したりしない。問題はそんな少年に逃げ道が用意されていないことにある。私たちの想像する普通の親であれば、子供の変化にはすぐ気づいて何かしらの対応はしてくれると思う。
ただ、もしそうではなかったら。少年には家にも学校にも居場所がなく、次第に言葉を発することすらできなくなってしまう。そこから何年耐え抜こうが、幼い頃に刻まれたこの記憶が少年の基盤になってしまうことは事実だ。彼は運よく児童相談所に引き取られ、遠くの中学校に進学して、友達もできた。これで少年が健康になっただろうか。
きっと周りの大人たちはそう勘違いしてしまう。そんな簡単ではない。人に裏切られたことのある人間は二度と人を信用なんてしないし、開く心も残ってはいない。ふとした時に嫌な記憶がフラッシュバックを起こし、少年の心を蝕む。一度壊れたものは完全には元には戻らない。

結果、少年は20歳になる1週間前に当時の同級生と実の家族。計8人を殺してしまう。少年法に守られた彼が法によって裁かれることはない。これが何を意味するか。「少年は加害者であって被害者でもある」これが全てだと思う。
もしも少年が、良い両親のもとに産まれてきていたら。もしも少年の周りに正義感の強い友達が一人でも居てくれたら。少年は人を殺すことはなかったのではないだろうか。
遺族が真に責めるべきは、自分たちではないだろうか。
自分の心を殺した加害者がいなくなった今、少年の心情は私にはわからない。ただ、一つわかるのは彼は「生きていたい」ということだけ。

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