スティーブジョブズは結構普通のことを言っていた。

バイト先の人に「あなた、食わず嫌いなタイプでしょう」と言われた。非常に的を射た指摘で、思わず「はいすみません」と謝ってしまった。

元来より食わず嫌いで、一度安心したものに固執するきらいがある。先日も友達と休日に出かける場所を話している最中、いつもどこに行くのかを聞かれたので「基本的に森か湖にしか行かないかな」と言ったら、美術館をお勧めされた。美術館は性に合わないからいいよ~と流すと、どこの美術館がダメだったの?と返され言葉に詰まる。よくよく考えてみれば美術館なんて行ったことはないのだった。

先日大学での初セメスターが終了した。この大学はリベラルアーツと銘打ちながらも一年時ではほとんど取る科目は決められている。自分で自由に興味があるものを選ぶというよりは、大学が強制的に幅広く学ばせてくる。

今セメスターは哲学、文学、社会学、データ分析学を履修した。どれも実際学ぶのは初めての分野ばかり。始まる前は及び腰だった。そんな日本語でやっても意味が解らなそうなものを英語でやって何が得られるのか、と。

終わってみれば何のことはない、得たものは大きかった。哲学では自分の生き方を考え直すことができたし、文学では文脈の裏を読むことを学んだ。社会学では今見ている世界をフレームワーク化したし、データ分析学は多分今後も役立つスキルだ。

ちょうど一年半ほど前に、ある人にこんな相談をしたことがある。「ずっと鳥が好きを押し通してきて、高校でもそれ一本で乗り切って、大学でもその方向に行くのかもしれないけど、一体自分が本当にそれでいいのかわからない。他の分野を見たことがない。」

その相談に対する答えが、今になって自分に返ってきているような気がする。漠然と憧れていたプログラミングは向いていないことがわかったし(でもまた履修したいのだけれど)、哲学は思っていたよりずっと自分を変えてくれた。

まだまだ学び始めでこんなことを言うのもアレなのだけれど、エピクテトスが好きだ。まだ彼の著作はHandbookしか読んでいないけれど、彼の人生哲学には僕の憧れる姿がある。中国の諸子百家、西洋の思想家ソクラテス、プラトン、インド古典のギータや仏教古典ミランダ王を読んだけれどエピクテトスが一番だ。所謂ストイシズムという奴で、世の中の大抵のものは切捨てていく哲学だ。

運命論も彼の哲学の一つで、「人生は役割の割り当てられた劇みたいなもの、自分の役割をどれだけうまく演じるかだ」と言っている。どこかの同期ではないけれど僕もこれを信じるように努めていて、すべて目の前にあるものはパッチワークのように組み合わさって自分をどこかに導いていくと思っている。

スティーブジョブズは点と点をつなぐ話をしていた。今は点と点の繋がりなんてわからないけれど、後になってそれぞれの点が活きてくる、と。思えばこれは結構当たり前の話で、日々実感することも多い。あそこでミスをしなかったら生まれなかった学び、そこで相談していなければ気づかなかったミス、あの時トイレに行っていなければ起こらなかった出会い、そんな偶然の結果掴みとってきたものは沢山あって、そんな偶然が起こらなかった結果逃してきたものも沢山ある。

誰かがインタビューで「最良の選択をするのは難しいから、自分のした選択が最良だと思うようにしている」と言っていた。心に刻んでいる。

次のセメスター、一番取りたかったField Researchのコースは他の科目と時間が被って履修出来ず、Ecosystem and Ecologyを履修することにした。教授に相談しに行くと、「実際は理論を完成させてから実地に出てほしいから、Ecosystem and Ecologyで理論を学んでからField Researchでそれを実験に活かすのは理に適っている」と教えられた。ならそれを先に言えよとも思ったのだけど、まあ僕の聞き方も悪かったのだろう。次セメスターは理論をみっちり完成させることになりそうだ。Ecosystem and Ecology、終わってみればその時の自分には一番適した学びだったなと思うのかな。

食わず嫌いは今も健在で、コースを自由に選択できるとなれば自然科学系やスペイン語なんかをやっぱり選んでしまうのだけれど、リベラルアーツの必修のお陰で次のセメスターでも哲学と文学は履修することになっている。こうやって避けられないものは食べてしまうのが吉だ。

取り敢えずは食わず嫌いなりに食べてみようかなと思っている。スティーブジョブズは Stay Hungry とスピーチを締めたけれど、食わず嫌いなりに食欲は健在に。目の前にあるものをしっかり食べて、おなか一杯になればいい。馬鹿みたいに食べる必要はない。




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