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とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<結> 4

 これから訪問する予定の家は、大きなお屋敷と聞いていたけれどそれは本当だった。

1980年代の東京とは言え、五日市の実態は田舎の農村だろう。

それでも、昔は茅葺屋根の農家が建っていたと思しき縄張りに、そのお屋敷は鎮座ましましていた。

お屋敷は重そうな瓦屋根を乗せ、あたかも風呂屋を強引に平屋にしたような立派な建造物だった。

 浅草寺や増上寺などは特にそうだったけれどね。

豪壮な結構に感銘を受け、わざわざ近付いてしげしげと眺めて見たらあらびっくり。

鉄筋コンクリート造なのが分かって“がっかりむしゃくしゃ”。

なーんて不機嫌を引き当てることが良くある。

そのどこかのお城の本丸とは言わないまでも、二の丸程度の広さはありそうなお屋敷もそうだった。

まずは広縁の外側がアルミサッシだった。

最初に通された客間に至ってはレースのカーテンが下がった洋間で、クーラーが稼働している有様だった。

「都の有形文化財に指定されちゃって手直しもままなりません」

そう言って当主が肩をすくめる。

そんな昨今ありがちな歴史を感じさせる古民家ではない。

それだけは一目見て分かった。

 江戸開府の時期に元北条の家臣が帰農して代々名主を務めてきた古い家。

そう佐那子さんには聞いていた。

だから僕はなんとなく、古色蒼然としたお屋敷を想像していた。

それこそ“犬神家の一族”が住んでいてもおかしくなさそうな館を期待していたのだ。

建築マニアとしてのちょっとした高揚感も手伝って、リバーサルフィルムを入れたOM-1を持参したのが無駄になった。

古民家の写真を行きがけの駄賃にするつもりでいた。

けれど古いのは家ではなくてお家柄だった。

 屋敷門と大きな蔵は明治か江戸の時代からそこに建っているのだろう。

改めて母屋をじっくり観察すると、屋敷地全体の造作に対して違和感が無いよう巧妙に設計されている。

外見こそ、悪く言えばお寺さんかお風呂屋さんみたいである。

それでもよくよく見れば住み心地の良さそうな、和風テイストを露悪的に強調しているだけの現代建築だった。

 OFUから既に話が通っていたのだろう。

だだっ広い玄関で案内を乞うと、六十がらみの気品のあるご婦人が現れた。

ご婦人は、とも動物病院ではとんとお目に掛かったことがない、真っ白で毛足の長いマルチーズを抱いている。

カレンダーのグラビアから抜け出してきたようなマルチーズだ。

ご婦人はおっとりとして上品な空気を纏った女性である。

御殿山か番町辺りで日傘をさして歩くのがいかにも似合いそうな雰囲気だ。

こう言っては何だが農家の主婦と言うよりは、どこぞのご令嬢の成れの果てなんて連想が頭を過る。

 僕は生まれてこの方、貴婦人なんて珍種に出会ったことはないけれどね。

この人がそうだと耳打ちされれば、そうに違いないと間髪入れず納得したろうぜ。

 ご婦人の栗毛色をした豊な髪には白髪が品良く筋を引いていたから、染めていると言うことでは無さそうだ。

大きな瞳の色は髪に合わせた様に薄い。

通った鼻筋を中心に据えた化粧を感じさせないかんばせは、生まれてこの方日焼けとは無縁だったと言わんばかりに白い。

その年代のご婦人にしては背も高い。

サマードレスめいた洋装がよく似合う立ち姿は、腐れ縁仲間のハーフ女史を思い起こさせた。

 「橘様からもお電話を戴きました。

・・・佐那子ちゃんとはお正月にお会いしたのですが、見違えるほどご立派になられて。

お父様もさぞやご安心のことでしょう。

獣医さんがお見えになると聞いておりましたので、うちのブランをご紹介しようと思って」

ご婦人が腕に抱いたマルチーズに視線をおとした。

「そちらの子がスキッパーちゃんですわね。

賢そうなお顔だこと。

普段は我が物顔でブランが走り回っている家ですからね。

スキッパーちゃんも遠慮は無用ですよ。

一緒にお上がりなさいな」

実はスキッパーをどうしたものかと思いあぐねていた。

どうやらOFUとは別個に、犬連れであることは佐那子さんから連絡が入っているようだった。

スキッパーの同道はご指名あってのことだ。

すると彼にも何らかの役が振られているのだろう。

それについては皆目見当がつかない。

 多摩地区の上つ方が結ぶ社交事情など知りたくもないけれどね。

どうやらこの家と橘家は関りがあって、ご婦人は佐那子さんとも旧知の間柄らしいよ。

 スキッパーを座敷に上げる許可を形で示す。

そのためわざわざブランを抱いて玄関先まで出てきて下さったのだろうか。

さりげないご婦人の心遣いは、戦前の山の手に息づいていたある種の上質な生活習慣の香りがするがどうだろう。

万事にそつのない都会だろうが。

鄙びた田舎だろうが。

自然と身に付いた躾と言わずもがなの礼節は嘘をつかない。

そんな人間生活の基本の基を大切にするお家なら、呼吸をするように他者に対する心遣いができるだろう。

そのことは日本、いや世界中のどこへ行ったって変わりはないはずだ。

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