ようやく中国での生活がはじまった。

ようやく中国での生活がはじまった。
4週間の隔離生活が終わり、北京での生活も慣れ始めたところだ。


だいぶ前から中国赴任の準備をしていたとはいえ、まさか緊急事態宣言中に、家から出るなというタイミングで、国を出ることになるとは思わなかった。

少しばかし落ち着いてきたので、最近思ったことを書いておこう。

安全で自由な国に来た。

隔離明けに近くの定食屋で飲んだビールと飯がやたら美味かった。出所明けはこんな感じなのだろうか。

今では、普通に出社して、普通に人と会って仕事をし、普通に皆と一緒に御飯も食べられる。

気兼ねなく、後ろめたくなく、普通の生活様式を過ごすは、およそ1年ぶりだろうか。コロナが発生する前の生活を懐かしく思い出している。

日本にいる時は、テレワークや自粛生活に慣れ過ぎてしまったようだ。ネットで仕事は効率的に進められているような気がしてくるし、zoom飲みとかのネットの繋がりだけでも友人知人らとの親交を深められそうな気がしてくる。

むしろ、コロナをきっかけにした、ビジネスにおける事業の新業態や、いわゆる「withコロナの新しい生活様式」は、未来にとって大きなチャンスであり、転換を迎えられたことはチャンスだ的な風潮もなくはないと感じていたのだけれど、中国に来てからそんなことはない、と思うようになった。

やはり、人は人と会うべきであり、人は人と共に生活すべきなのだと思う。
オンラインによるコミュニケーションは偶有性(セレンディピティ)を明らかに減らす。生きることの愉しみの1つは、偶発的に起きる出会いやそれによって生じる内的な感情の変化と思うのだけれど、スマホやPC越しのコミュニケーションはそれが得意でないと思うのだ。

実際、テレワークが常態化してからの「思い出」が少ないように思う。日々一生懸命に仕事を取り組んでいたつもりだけれど、なぜか記憶にはしっかり残っていない。(自分の記憶力が悪いだけの可能性も充分あるが、、。)

やはり、人の内面的な動きは身体的なフィジカル面から大きく影響を受けていると思うのだ。当然と言えば当然なのだけど、自分は中国に来てからようやく、中国語を勉強しないとヤバいなという感情が出てきた。そんな感じで、物理的にどんな環境下に置かれているかは、中長期で大きなインパクトとして現れるのではないかと思う。

いずれにせよ、テレワークは人類にはまだ早いのではと、こっちに来て感じる。一部テレワークはありだけど、業務の主体はオフラインであり、テレワークはあくまで補助的な立ち位置が良いと思う。

やはり、PCやスマホ越しでは情報が少なすぎる。情報というのは、表情や呼吸、ちょっとした仕草や雰囲気からも多く発せられている。そして仕事というのは、単に情報の交換だけで進むのではなくて、感情も交換しながら、場合によってはぶつけあいながら進めるべきことであり、今のITデバイスでは、それがまだ足りない。


話にまとまりがなくなってきてしまったが、、
端的に言うならば、安全で自由な今の中国は、とても素晴らしい。

「自由」とはなんだろうか。
確かに、中国という国では、政治的な発言が自由にし難いことは周知の事実だ。自分もこっちに来てから、オンラインでの会話では少なからず表現に気をつけたりはしている。

他方、各々が自由に発言出来る日本が素晴らしいことは間違いない。ただ、それであるがゆえに、自由に外に出られず、自由に人と会えず、自由に生活が出来ないように思えて仕方ない。

本来の人間的な生活をする自由の方が、よっぽど大事ではなかろうか。

4週間の隔離

4週間の隔離というは、今後経験することがないと思うので、まだ記憶が残っている間に、文字に残しておきたい。

率直な感想としては、「思っていた程大変ではなかった。でもそれなりにしんどかった」である。


中国入りしたのは今年の1月末だ。
1月中旬に突如ビザがおり、今後いつまた取得出来るか分からなかった為、急ぎで渡航準備を進めた。

はじめは2週間の隔離だけと聞いていたが、渡航準備を進める間に、政府方針が代わり、隔離生活は2週間から3週間になり、渡航直前には4週間になっていた。

こちらでは、「14+7+7」という表現が良くされた。最初の2週間は厳格隔離。次の1週間は厳格ではないが、ホテルでの隔離。最後の1週間は自宅隔離。自分の場合、最初の2週間だけ、とても厳しくて、残りの2週間は厳しい隔離ではなかった。

ただ、渡航前は結構不安な気持ちだった。隔離に関する情報が少なかったからだ。かつ、情報を取りすぎてもより不安になりかねないから、あえて積極的な情報収集もしなかった。どんなホテルに泊められるか分からない。食事は大丈夫だろうか、窓がなかったらどうしよう、PCR検査は痛くないだろうか、その環境下で4週間耐えられるか等など。

ふと、この感覚どこか懐かしいなと思い出した。12年前に初めて中国に留学に行くときも、そういえばこんな感じだった。まったく中国語が話せず、全然中国のことを知らず、渡航直前は不安な感情だったことを思い出した。まぁだから、またどうせ大丈夫だろうと思えた。

隔離に際し、気をつけたことは「メンタルを壊さないこと」だった。
誰とも会えない4週間になるのだから、メンタル面を気をつけようと思った。その為に意識したことは、運動とコミュニケーション。

日本に入る時は、朝ジョギングをしたりジム行ったり毎日運動する習慣があったのだが、中国の独房ホテルについてからも、その運動を欠かさないようにした。むしろ強度強めのメニューで過ごすようにした。

もう一つはコミュニケーション。なるべく1人で没頭し過ぎないように気をつけて、仕事仲間や家族と電話でのコミュニケーションを増やすように気をつけた。皆も心配してくれて、積極的に話をしてくれた。

でも、これは不思議なもので、zoomで相手の顔を見ながら長く話すよりも、防具服を着た監視員と一言声を交わす方がよっぽど嬉しかった。

一番しんどかったのは、最初の数日だったように思う。
ホテルのドアから一歩も外に出れないというストレス、窓からは久しぶりの中国の世界が広がっているのに、あと4週間も動けないというストレス。今までの生活環境から一変したストレスなどだろうか。ストレスが原因か不明だが、歯が痛くなった。

でも、3日目くらいから、「あ、これイケるな」と思えた。身体が環境にアジャストした感じがした。

というか、そもそも自分は友達も少ないし、会社や家で籠もって仕事することが殆どだから、実質的なライフスタイル変わってないじゃんと気づいて、イケると思った。アウトドア系の人間だったら、よりストレスは大きかっただろう。

30センチ飛ぶ蚤をガラスのコップに入れてガラスの蓋をする実験です。蚤は最初はコップから出ようとジャンプするのですが、その度にガラスの蓋にぶつかります。しばらくしてガラスの蓋をとるとどうなるでしょうか?蚤はコップの高さよりも高くジャンプすることが出来なくなっています。

「あ、これイケるな」と思った日に、上記の「ノミとコップ」の寓話をなぜか思い出し、俺はノミと一緒だなと思った。外に出たい、自由になりたいと思っていたからストレスになっていたのであって、そもそも無理やんと思った時にストレスが消えた。

あとは飯は微妙だったけど、持ってきたカップラーメンとお酒で食事面は乗り越えた。毎日の体温報告、合計4回のPCR検査、上海から北京への移動、アプリでの諸々の申請、結構面倒くさいことばかりであったが、きっとなかなか出来ない良い経験だったのだろう。

自分を監視していた防護服着ている方達には畏敬の念を覚えた。水際でコロナを防ぐというミッションを持ち、陽性者と対峙する可能性が最も高い訳で、怖さもあるに違いない。自分の場合、厳格隔離のタイミングと春節のタイミングが重なったのだが、自分に対応してくれている方々を見て、この仕事の為に帰郷することが出来ず、隔離者のホテルで年を越さざるを得ないのは、とてもシンドい事だろうなと思った。

様々な人のサポートのおかげで、4週間の隔離を無事に終えて、健康体のまま北京での生活を始めることが出来た。


上手くいったら運、失敗したら実力


隔離期間は自分と向き合う時間がやたら長い。それゆえに自分を振り返ったりもした。そういえば、この業界で仕事をしようと決めてから、もう10年だなと思った。

2011年3月11日に東北大震災があった。その時自分は就活生だったのだけれど、これきっかけとして、就職活動をすることを辞めた。一度しかない人生なのだから、既存のルールに乗って進むのではなく、自分自身で仕事を創り出そうと思った。リクルートスーツを押入れの奥にしまった。

今考えると馬鹿な意思決定だったなと思う。むしろ馬鹿だったから出来た意思決定だったとも言える。もう少し世の中を知っていたら、その行動はしていない。新卒カードを捨てるなんてもったいないからね。後悔はしていない。

就活を辞めたはいいものの、特に計画はなかったから短期バイトでお金を急いで貯めて、中国に向かった。結果的には、その時に北京の書店で立ち読みした、アリババ、テンセント、百度などの中国ネット企業に関する書籍の内容に驚いたのが始まりだった。これを仕事にしようと思った。

日本に戻ってからは、中国Tech情報を発信するライターになり、中国ITマーケティング業務もやり、今は気づいたら、中国Tech企業の日本進出の為の、広告代理店の社長をやっている。

よくここまでやってこれたもんだと自分を褒めてやりたい気持ちもある。否しかし、これは運が良かっただけだし、別にたいしたことがないということにも自覚的ではある。

たとえば10年前にテンセントやばいと自分は気づいて、日本でかなり早い段階で記事や講演で当時から発信していた。10年後の今のテンセントの株価は100倍程になっている。ただ、自分の資産は100倍にもちろんなっていない。株買っときゃよかった。

同じ時期に事業をはじめた同世代の起業家の中には、上場したり売却をしている人もいる。あまり人に言いたくない失敗も結構沢山している。

なんで自分はこんなに上手く行かないの思うことがよくあった。環境のせいにしてしまっていたこともある。最近になってようやく受け止められるようになってきた。自分に実力がなかったのだと。であれば、実力を付けねばと。

と、同時にもし何か上手く行っていることがあるとすれば、それは運がよかったからであり、多くの人の支えがあったからだ。

この世界情勢の中、そのど真ん中である中国にて、このように挑戦する機会をくれた親会社に対してと、支えてくれている多くの方々に深く感謝をしている。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」 by野村監督


ここからだ


10年前に始まったキャリアの終着として、今ここにいるような錯覚を覚えたりもしたが、隔離空けに街を歩いていると、いやむしろ、今がまさにここからの長い戦いの始まりなのだと気持ちが改まった。

10年前の時点では、中国の未来に対して、自分もまだ懐疑的な部分も少なからずあった。ただ、今は確信的である。実際に街を歩き人と話すことで強く感じる。テクノロジーによって生活はとても便利だ。素晴らしいサービスが沢山ある。中国の人達の自信も深まっている。

コロナによって、世界の時間の動きは早まった。世界が急速に変わる音が聞こえる気がする。その動きに必死に捕まり、一生懸命頑張り、イケるとこまでどこまでも高く登ってみたい。



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