中国ネット業界で仕事して、気づいたら約10年。


この業界に入って気づいたら10年経っていた。
そもそも10年前にこんな業界はなかった。ただ中国ネットへの驚きと好奇心からブログを書き始めたのがきっかけだった。

10年前はただブログで気になる中国ネットサービスを紹介してただけなのに、今は中国の広告会社の社長として、テンセントやアリババなどのネットサービスを日本ユーザーに認知させる仕事をしている。

小中高と野球を12年間やったのだが、もうすぐそれを超えちゃうんだな。


自分はビジネスマンとして特別な能力が正直ないのだが、今なんとか会社の経営までやらせて貰えているのは、長くやってきたことに対する経験と人脈が大きいと思っている。

そう考えると、10年前に無謀にもこの業界に飛び込んだ若き日のアホな自分を少しくらいは褒めてやりたい。



仕事で苦しみ、仕事で喜ぶ


ずっと仕事が頭から離れない。
朝起きてから夜寝るまでずっと考えて、夢にまで出てくる。週末は気分転換しようと試みるが、逆に仕事から離れることが不安になる。ひとり暮らしで、かつリモートワークが多いために、実質的にオフィスの中で暮らし続けたような1年だった。


パラノイア(病的なまでの心配性)だけが生き残る--

元インテル社長のこの言葉が身に染みる。
社長に就任してから、はじめての通しでの1年だったが、大変な日々であった。ヤバいと思った局面は1度や2度ではなく、舵取りをミスって奈落の底に転覆する世界線だって十分ありえた。

経営において売上を上げることは必須で最優先事項であることは間違いない。しかしながら売上は経営の一要素に過ぎず、実際にはあらゆる方面から会社のことを考えなくてはならない。

すなわち、営業だけでなく、財務、人事、法務、広報、総務。短期視点だけでなく、中長期視点の視点。自分の会社だけでなく、親会社やグループ会社の視点。複雑で多層的な情報と状況を正確に認識し、出来る限りシンプルに実行することが求められる。

結果として、
昨年比売上高約5倍の成長、昨年の大幅な赤字を脱却し黒字化することが出来た。だがそれは市況への追い風と、周りの頑張り、いくつかの幸運が重なったことが大きい。

自分が確かに誇れることがあるとしたら、パラノイア的にひたすら考え、がむしゃらに働ききったことだろう。


「経営とは耐えることだ」
とある有名な経営者がこう言っていたが、まさにそれを体感させられた1年だった。

大変なこと、しんどいことばかり起こる。
でも、それを真正面から受け止めて、むしろそれらは自分にとって、きっとプラスになることなのだと信じ込ませる日々。

顧客と現場の板挟みの中で、孤独に苦痛に耐える日々が自分の仕事なのだろう。だが逆に喜びや充実感もこの仕事からもたらされるのだ。

第一に嬉しいのは、やはりクライアントが喜ぶこと、ユーザーが喜ぶこと、そして売上が上がることである。

だが最近は自分が年老いたからなのか、業務の中で社内メンバーや社外パートナーが成長していく姿を見られることも、一つの大きな喜びと感じるようになった。

この仕事が長いせいで、一通り起こり得ることは経験済みだから、個別案件での喜びや感動が薄れてきている気はする、その点関わってくれている人たちの成長というのは、人それぞれ違うので、喜びを感じられやすいのかもしれない。

来年も自分の大事な仕事は数字の成果を出すことで間違いない。だが、そこに至るまでの出会いや喜びも大事にしていきたいと思う。なぜなら仕事の成果の為に人生があるのではなくて、人生を豊かにする為に仕事があるのだから。



今年は中国の9都市に訪問


普段は北京での生活なのだが、週末や休暇の時間を使い、この1年で9都市に訪問した。


瀋陽、長春、鄭州、洛阳、武漢、成都、上海、太原、ウルムチ(新疆ウイグル)。


本当は中国全土の都市に行こうと思ったのだが、時間がなかったのとコロナが厳しくなった影響でそれは叶わなかった。だが過去に訪問したのを合わせると、これで中国の半分の都市くらいには行ったことになったかと思う。

期せずして、一人での中国生活になったので、今しか出来ないことをやろうと思い始めた旅。新疆ウイグルと上海以外は、基本的に深夜列車とゲストハウスでの旅を敢行した。自分が鈍感なだけかもしれないが、一度も危険な目に遭わなかった。


どの都市もとても活気がありエネルギーに満ちていた。日本での度重なるロックダウンのニュースを見ていたので、自粛している日本の様子と活発的な中国の様子を見合わせて、自分はパラレルワールドにでも生きているかのような感覚になった。


各都市にそれぞれの良さがあり、美味しい食事、美しい風景、趣のある歴史建造物などに触れることが出来たが、何よりも思い出深いのは、各都市での人との出会いであり、そこで交わした会話や感情だ。

武漢で聞いた世界で初めて行われたロックダウンの過酷さと、それでもなんとか乗り越えてきた人々の強さに感動した。

新疆ウイグルで聞いた管理制度の鬱屈さと、民族間の意識のギャップ、それでも地元を愛する言葉を聞いて、安易な意見を言えないなと思った。

また、どの街でも若者と会話することが多かったのだが、仕事や生活への不安やプレッシャー、それでも未来への希望を信じて頑張る姿は、日本のそれと大きく変わらないなと思った。

国際社会においての中国に対する厳しい目線は自分も承知のつもりだが、どの街のどの人も、日々をただただ一生懸命に生きているに過ぎないのだ。

ニュースばかり見ていると、国という人格の中に人々が暮らしているような錯覚を覚えるが、実際は人々の集合体が国になっているだけで、その人々の生活や感情の機微は、我々とそう変わらないのだ。

旅をすると身体感覚を持って色々と考えさせられる。

なかなか仕事のことを忘れられないことに頭を悩ませているが、遠方に足を運ぶと身体と心が軽くなる気がして嬉しかった。もっと中国のことを知りたいと思ったし、気に入った様々な場所で仕事や生活が出来るようになったらいいなと思った。

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さぁ来年も色々と頑張ろうと思う。

一生懸命頑張っても結果は誰もわからないけれども、
一生懸命頑張れば自分が成長出来ることは間違いない。

そのプロセスの中できっと楽しいことや嬉しいことが待っているはず。

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