誠実さ

20歳の誕生日の時に、
人の悪口や陰口をなるべく言うのを辞めようと決めた。

ベンジャミン・フランクリンの自伝を読んだのがきっかけ。

彼は自分の人格を直したことで、人生が素晴らしい方向に進んだと書いてあったからだ。実際には、陰口や悪口だけじゃなくて、嘘をつかないとか、約束を守るとか、もっともっと項目が細かくあった気がする。

10代の時自分は元々、結構口が悪くて、人の悪口を言うのが得意というか、そうやって笑いを取ったり、自分を大きく見せようとする癖があった。自分に自信がなかったからかもしれない。

だからだろうか。近寄りがたい雰囲気があっただろうし、実際自分の周りには人は少なく、孤独感も強かった様に思う。

「岡は人の悪口でしか、笑いが取れないよな。」そんなことを言われたこともあったな、そういえば。

ベンジャミンフランクリンは、自分なんかよりも、遥かにクソ人間だったらしい。彼の伝記だけでなく、近い人の証言でも見たことある。

そんな彼の教えを自分もやるべきと思ったのだ。本当はその全てを実践すべきなんだろうけど、残念ながら自分はそこまで洗練潔白な人間ではなく、今でもそれなりに守れているのが、悪口陰口を言わないことだ。

気に入らない人に対しての嫌悪感って、誰だって存在する感情だと思う。

無礼な奴や下品な奴など。でも、そういう人に対する適切な対応は、まずは関わらないことだ。近寄らず距離を取ればいいのだ。それでもどうしても、言葉をぶつけたい時は、悪口ではなく、適切に「批判」すべきだ。感情論に終始せず、出来るだけロジカルにエビデンスを持ちながら「批判」する。

でも。それでもやっぱり、負の感情が他者に対して沸き起こることがある。そういう時は、実はその人に対して「嫉妬」してしまっていることが多い。時には自分でも気づかずに、そういう感情を持ってしまっていることがある。

そういう時は、自分を俯瞰してみるようにする。
まず嫉妬していることを認識する。そして、嫉妬していることは、憧れていることの裏返しであることを納得する。あとは、その人と自分の違いや欠如箇所を適切に把握する。そのうえで、「嫉妬」の感情を、「悔しさ」の感情に転嫁させて、差を埋める努力する。

ついでに、(これは難易度が高いのだが)その存在に感謝してみる。自分のなりたい方向性を気づかせてくれて、頑張るエネルギーまでくれる、この存在をありがたく思う。

ここまで、できれば、悪口や陰口は頭から消えるだろう。

特に陰口は良くない。
直接ならまだしも、本人のいないとこで、そういうことすると、その人自身の信頼を、実は下げてしまっているからだ。

世間は狭いし、人生は長い。
無駄な敵はつくる必要はないだろう。

とか言ってるけど、覚えてないだけで、酒の場では、そういうことを、つい言ってしまっている気がしないでもない。ww

あと、もう一つ。
何者でない人を舐めない、ように気をつけている。

僕自身が、今も何者でもないし、昔はもっと何者でもなかった。
でも、そういう時にヒドイ扱いを受けたことって意外に覚えているし、逆に、マトモに扱ってくれた人は今でも覚えてるし感謝している。

人って、運やタイミングや環境によって、
いくらでも状況って変わると思う。
努力をし諦めない人は、必ず状況を好転させられるから。

だから、たまたま不遇な人であったり、その環境の中ではたまたま扱いがヒドイ人であっても、自分はそういう態度は取らないようには気をつけている。

社会や人も綺麗事では進まないのは重々承知。
強く逞しく、場合によってはずる賢くも生きなければならない。
でも、出来ることならば、美しく、誠実に生きていたいものだ。

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