12年振りにヒットを打った

北京での草野球に参加して久しぶりにヒットを打った。どれくらい久しぶりかと言うと、なんと12年振りだ。やっぱヒットを打つのは嬉しいなぁ。先月から参加して3試合で9打数5安打。大振りすると脇が開いて空振りか引っ掛ける癖があるので、逆らわずに左方向を意識してバットの芯に強く当てることも意識したのが良かったのだろう。昨年参加した時は全然バットにボールが当たらなかったので、自分なりに意識を変えて臨んだのが良かったようだ。昔の感覚が僅からながら戻ってきた気がする。

そうか、気づいたらもう12年も経つのか。12年前に高校野球の夏の予選、神宮球場でヒットを打ったのが公式戦では最後。同じ年の秋に引退試合でヒットを打ったのが試合での最後のヒットだった。チーム内の競争の中で、4番バッターの座を獲得出来たのは誇らしかったが、それゆえにチームを勝利に導けなかったのは自分の責任だと思った。野球をした期間は小中高の12年間。12年間もやったのに俺はここまでしか来れなかったのか。こんなに一生懸命にやったのになんでだろうか。周りを見ればそれは明白で、それは自分に野球の才能がなかったからだ。スポーツは努力だけで結果を出せる程甘い世界ではなく、突き抜けるには持って生まれた何かが必要なことを、12年間も続けていれば気づいてしまっていた。だから、最後の夏に負けが決まった時に、神宮球場のセンター裏の大きな掲示板をボンヤリと眺めながら、「次、一生懸命やることは、才能があることをやろう」そう強く思ったことを鮮明に覚えている。

久しぶりにヒットを打ったことで色々と記憶や想いを思い出した。そもそも高校以来こんなにも長く野球をやらなかったのは、小中高の12年間であまりにも野球に熱中し過ぎたからだった。特に高校時代は勉強を一切せずに、朝から晩まで、寝ている時もずっと野球のことを考えていた。だからまず、この頭の全てを支配している野球を排除しないと、新しいことを何も出来ないような気がしたし、これ以上他のことが出来なくなるのが怖かった。

12年前に強く思った「才能のあること」に今自分は出逢えているのだろうか。野球に変わる熱中出来ることに出逢えているのだろうか。

どうなんだろう。分からない。自信はない。

高校野球を終えた後、大学受験に失敗して、でも浪人時代に、いつか必ず経営者になると決意して、将来の自分の為に中国に留学して、その後色々あって、今は中国で広告の会社を経営している。まぁただの雇われ社長なんだけど。でも経営者であることは事実だ。就任して2年が経った。就任する前と比べて売上の規模は約10倍になった。これは自分に才能があったからなのだろうか?そうかもしれないし、そうであってほしい。けど実際の体感値としては、たまたま運が重なって今があるとしか思えないし、実際の日々の業務ベースでいうと、大変なことばっか起こるし、うまくいかないことばかりだし、シンドい毎日である。少なくともセンスと感覚だけで業務を推進してる気は一切ない。この歳になると自分の無能な部分に対しても自覚的でいつも周りのサポートありきだ。心身共に既に満身創痍なのに関わらず、それでもなお自分の経験と実力を超えた出来事がしょっちゅう突発的に降ってくる。ツラく耐え忍ぶ日々。才能なんてもので処理出来てる感じはなくて、どちらかというと気合と根性で乗り切っているような感じ。乗り切ってるというよりかは、豪雨の中で岩にしがみついているというのが体感か。唯一正しさがあるとすれば、このマーケットを選んだことだろう。この右肩上がりの市場にいることで、成長することができ、チャンスと出会うことが出来た。


12年前に野球をやっていた時と変わらずに、今も朝から晩まで、寝ている時さえも仕事のことを考えている。熱中しているのか、そうせざるを得ないだけなのかはよく分からない。お願いだから才能があって欲しいところだ。


そもそも社会人になってつくづくよく思ったことは、なんで12年間もバカみたいに野球をやってしまったのだろうかということだ。野球ばっかやってなければ、いい大学に入ってこんな苦労しなかっただろうし、なんならその時間に英語とかちゃんとやっていれば、もっと世界が拡がってたのではないのか、とか。大事な学生時代に野球ばっかやってたから、何も専門領域を持たない自分になっちゃったんじゃないかとか。


最近になってからかもしれない。ようやくそんな自分の過去を肯定出来る様になって来たのは。野球の才能がなかったから、人一倍コツコツと努力するように心掛けたし、体育会系でありがちな理不尽なことを受け止める忍耐力をあるし、縦社会における非言語も含むコミュニケーション能力とかも。


上記動画の偉い大学の先生も言っていたのだが、社会人でとても大事な能力としてあるのは、非認知能力らしいのだが、どうやらそれを身につけられるのは学生時代におけるスポーツ体験らしい。

そう考えたら、一時期は無駄な経験とさえ思っていた野球経験も大いに自分の糧になり、何もないと思っていた自分を根底で支える背骨にさえなっていたのかもしれない。


12年経って感じることはそんなとこだろうか。12年前の自分への回答にはなっているだろうか。なんとか生きていると。意味のないことはない、と。


さて、最近の大きなトピックは中国帰国だ。約半年ぶりに北京に戻ってきた。長く日本にいすぎたのかな。この3ヶ月くらいすこぶる不調だった。心身の状態がすこぶる不調だった。なぜかずっと憂鬱で、身に力が入らない日々が長く続いた。その時はなぜか自分でもわからなくて、それがさらに苦しかったのだけど、最近になってよく分かった。家族と離れるのが辛かったからだ。自分は自分に凄く鈍感なタイプで、自分の喜怒哀楽の感情に気付くのが遅いのか今回も今になってようやく分かってきた。1年ぶりに妻と子供に日本で再開して、ようやく一緒に暮らせた日々はかけがえのない日々だったのだ。2歳の我が子はよく喋るようになった。一緒にご飯を食べて、一緒に公園で遊んで、一緒に風呂に入って、一緒に寝る。それが無くなること、それに加えて2週間以上の隔離生活を経て、また中国で寂しい日々を過ごすことが、きっと原因不明の憂鬱さの原因だった。自分でも意外なことに、自然と涙を流してしまうこともあった。(そういえば人前で涙が流れたのも12年ぶりだ)。飛行機に乗るのが好きなのだが、今回初めて、離陸時と着陸時も何も高揚感を感じられなかった。とはいえ、一緒に居続ける選択肢もあった訳で、色んなことを考慮した上で、自分と家族にとってこれが今後の自分達にとってベストだと思い、自分で決断したことだった。だけど、頭でそれは理解出来ても、気持ちとしては受け入れきれなかったのだろう。それが心身の不調の原因だったように思う。

いま家族と離れて1ヶ月が経ち、ようやく本調子に戻ってきた。だからこの文章も書けている。隔離が明けて街に出られるようになった。草野球にも参加してる。会社のメンバーに会ったり、クライアントに訪問したりと、中国の日常生活に再び溶け込め始めてるのを感じる。朝は運動をし、仕事前までに中国語の勉強をするというルーティンも、無気力の時は断片的になりつつあったのだが、今はちゃんとほぼ毎日出来るように回復しつつある。自分はサイコパスな人間なんじゃないかとたまに心配になることも今迄あったのだが、自分も1人の弱い人間なのだなと認識させられた。


 



これは私の師の書籍であり、ひと月前くらいにも直接にご挨拶に伺ったばかりなのだが、最近とある中国の方にプレゼントする機会があり、それをきっかけに久しぶり読み返した。

書籍のタイトルでもある「何のために働くのか」の師の著書での答えはこうある。

そもそも、歴史の進歩とは何であろうか。色々な考え方があるだろうが、私はそれを「不条理からの開放」や「不条理の克服」だと考えている。たとえば、生まれながらの貧困は本人の責任ではない。その人の責任を問われる必要のないことで苦しむこと、それこそが不条理だ。そうした不条理を組織的、かつ制度的に克服していくこと、それこそが歴史のの進歩ではないか。仕事に向き合うときも、こうした問題意識が必要だと思う。

仕事を通して時代に働きかけ、少しでも歴史の進歩に加わることが、「生きること、働くこと」の究極のいいだと、と私は考えている

何のために働くのか


崇高な答えだと思った。自分もこうありたいと思った。だけど自分にはまだここまでは思いきれないかもしれない。

自分は空海のことが好きで、彼が修行していた青龍寺には2回、晩年に拓いた高野山にも2回行ってる。彼が長安から太宰府に戻った時の寺も巡ったこともある。神棚には高野山で買った空海グッズが飾られている。

彼が平安時代に行ったことを、この現代でやってみたいというのが、自分にとっては結構根底のモチベーションにある。

簡単に言うと、中国の最先端を日本に持ってきて、日本を豊かにし、世界を豊かにすることだ。

単なる好奇心なのだが、志や夢とも言えるかもしれない。

そういったものに向かって働いている自覚はあるし、師が言って時代の推進と不条理の解消と言った回答とも、そんなに相反しないようにも思う。

そう言った点で、自分が家族と離れて中国で働くことも充分に正当化出来るはずだった。


ただ、この3ヶ月程の間に、この「何のために働くのか」と言う問いをよく考えさせられた。


転職活動はしてないのだが、最近知り合いやエージェント経由で条件のいい仕事の紹介がよく来る。自分が生業にしている業界だけでなく、結構幅広く話が来る。待遇面だけでいえば今よりも条件がいい話しも少なくない。

そう言った中で、家族を一時的であっても日本に残して離れて迄中国に仕事来てこの仕事をする意味ってなんだろうかと、否が応でも考えてしまう。

答えはシンプルで、自分自身がこの業界でトップになりたいから。だから、自分の会社を業界でトップにしたいからだ。

倒産や撤退の可能性がある局面からスタートし、売上は10倍近くになり、大手クライアントと取引出来るようになった。

実際的に目下の課題と距離があるのも確かだが、トップの背中が見えて来たと言っても、そこまで言い過ぎではないだろう。

凄く傲慢で生意気かもしれないが、足元すくわれないように油断をする気は一切ないが、事業を拡大させる為の要点やロジックのようなものも、ぼんやりとだが見えてきたようにも思う。

だけど最近は少し気持ちが萎え始めている自分が正直いる。

事業を拡大させればされるほど、痛みと共に何かを失っているのではないかという感覚。

実際的にはプライベートの面では、家族との時間がなくなっている。仕事の面では、急激な拡大と共に社員の皆んなに負荷をかけてしまっているのが正直ツラい。理論上は個人の負担が重いなら、人を増やせばいいだけなのだが、実際はそんな簡単ではない。組織内のハレーションや歪みみたいなのも起こる。

経営者としては、その苦悩を超えて更なる事業拡大を目指すべき、というのは頭では重々分かってるし、それに必要な方針や施策はお金と時間もかけて実際に行ってもいる。

ただなんていうのかな。極端な考えかもしれないが、俺が理想を追求していけばいくほど、身近な人達を不幸にしてるんじゃないかと、ふと不安になる時が最近はちょいちょいあるのだ。


自分の弱さをヒシヒシと感じるし、これが俺の器の限界なんじゃないかとさえ思うことも正直ある。

もちろん、家族と社員を大事にしながら、会社の事業を発展させるのが理想であるし、それを諦めている訳ではないし、大事にしてるつもりだけど、至らない部分も痛感してる。やはりそこのバランスがあまりにも難しくて、苦しみ悩みながら懸命に過ごす日々である。


また、最近は健康診断で芳しくない数字が出た。医者からは酒の量を控えることと、運動の量を増やすことをかなり強めに言われた。若いのにこの数字は良くない。かいげんさもないと薬を投与を始めるよ、と。これも根本には仕事のストレスと仕事の量が原因だろう。


そういったことが起こったので、最近意識してることがある。それは日々をもっと楽しもうということだ。

気づいたらストイックになり過ぎてしまう悪い癖がある。12年前も練習し過ぎて身体を壊したこともよくあった。今もそれはまだ改善出来てないようだ。

また、トラブルに振り回されているのも事実だが、一通り危機的なトラブルは経験し終わった気がする。もちろん、もっとヤバいことも全然起こり得るんだけど。とは言っても、自分が想定している最悪のラインは超えない自信はある。

だから、仕事もプライベートも、なるべくもっと日々を楽しもうと思う。というか人生をもっと楽しもう、楽しまねば。

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