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【軍靴を咥えた犬になる】

京都に進々堂というパン屋があって、いしいしんじがこのパン屋のための小説を書いたパンフが各店に置いてある。そういう伝統が昔からあるらしく、その社内報に1960年代、専務の続木満那という人が戦時中のことを文章に書いている。

「私の二等兵物語」という題の連載。その中の一文をたまたま読んで揺さぶられたので書き写しておく。続木が中国大陸に出征中、銃剣の練習と称して中国人捕虜を生きたまま木にくくりつけて突き殺す練習があった話である。

《「突け」の号令が、とうとう下された。しかし流石に飛び出して行く兵隊はありません。小隊長が顔を真っ赤にしてもう一度「突け」とどなりました。五、六人が飛び出して行きました。捕虜の悲鳴と絶叫と鮮血が一瞬のうちに雪の野原をせいさんな修羅場に変えました。尻込みしていた連中も血に狂って猛牛のように獲物に向かって突進してゆきました。私はじっと立っていました。「続木!いかんか」と雪をけちらしてどなりました。私はそれでもじっと立っていました。小隊長は真っ赤な顔をして一層赤くして「いくじなし」というが早いか私の腰をちからまかせにけりあげました。そして私の手から銃剣をもぎとると、銃床で私を突き飛ばしました。小隊長の号令に従わなかった男がもう1人だけいました。丹波の篠山から来た大雲義幸という禅坊主の兵隊で、2人はその晩軍靴を口にくわえ、くんくん鼻をならしながらよつんばいになって、雪の中を這い回ることを命ぜられました。これは「お前らは犬にも劣る」ということだそうです》

書き写していくだけで力が抜ける。この時の捕虜は40人で、銃剣を持って並んだ初年兵も40人。1人一殺を強いられた状況である。犬になった2人を除く38人は、戦後をどう生きただろうか。

この世紀の間におそらくもう一度は大きな戦争がくるだろう。私はもうおそらくそれに巻き込まれることを免れているが、若い世代の、私たちの子どもや孫のうち、どれだけが、人間であることを守るために犬になれるだろうか。

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