見出し画像

【たくさんの木々の立つ中に】

<追悼:樹木希林>

                       2018/10/21

時間がないのと興味の優先順位とで演劇の舞台を見ることは、まずない。それなのに、演劇関係の本には好きなのがあって、宇野重吉の「桜の園」演出ノートなどは愛読書のひとつである。
樹木希林が亡くなって、いろいろ話題を読むうちに、どっかで彼女の面白い対談があったなと、もどかしく沈んでいる記憶があり、ようやく探し当てた。
草野大悟「俳優論」(晶文社:1992)。
52歳の若さで才能を惜しまれながら死んだ俳優の残した、演劇についてのメモや短い文章をまとめたもの。
「いいかい。決して本物になっちゃいけないんだ。あくまでもニセモノでいられるのが本当の役者ってもんだぜ。お前」
「初めてその言葉を聞いたように聞き、応じていくこと」
「『なんでもあり』である。一方、『こうしなければいけない』ということもある」
「自分でも思いもしなかった行動をしてしまう。その跳ねかたを観客は見て跳ね、オルグられる」
「偶然性を次の日から芝居にしていくには技量が必要」
これらの思考の断片、特に最後に挙げた一句は、今でも私の臨床と技法のかかわりを考える土台となっている。
本書に「消えた画集」という草野のエッセイが収められていて、それは自分が二階に下宿していた古本屋にヴォルスの分厚い画集があって、「同じ貧乏青年でヴォルス狂いの役者」である友人といつも芝居の稽古のあとに店の書棚から抜き出して見ていたのだが、ある日その本が消えた。「ある金持ちの女性が、そのヴォルフ好きの役者にプレゼントしたのだそうだ。棚に並んでいる商品を買って悪い筈もなく、誰に贈ろうと悪い筈もなく、僕の虚脱感だけが残った」と締めくくられたエッセイである。
樹木希林と石橋蓮司、斎藤晴彦が、巻末で草野を偲ぶ座談会をしているのだが、希林が「実はね、この『金持ちの女』っていうのはわたしなの」と明かして、座談者を驚かせている。贈った相手は金子研三という俳優らしいのだが「二人のどちらかのところにあれば、少なくとも他人の手には渡らずにすむだろうと思ったから、金子研三のお誕生日かなんかにプレゼントしたのよ」と。草野は知っていたのだが、樹木希林の最初の夫である岸田森を草野が慕っていたので、彼女に嫉妬して、文章には「僕の虚脱感だけが残った」と見知らぬ女の仕業のように書いたのではないか、とは座談の三人の至った推論である。
他にも樹木希林は「わたしと大ちゃん(草野大悟)はね、鼻が低いの。(笑)それはとても役を限定することなのよ。女優になるっていうのは自分の存在そのものが魅力的だと思い込んでいいはずでしょ。でもそこのところへは私は絶対にいけないんですよ」と告白している。
そのように自分を魅力的と思えないまま、樹木希林は稀代の大女優のひとりとして、逝った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?