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白鳥の歌64

【白鳥の歌64】
 毎年年末か年始に自分と同じ歳で死んだ誰かを悼んで書いている、白鳥の歌。
 今回は、檀一雄。享年64歳。

  落日を 拾いに行かむ 海の果

 ポルトガルのサンタクルスには、檀一雄の歌碑がある。檀はここで「家宅の人」を書き続け、最後は妻子のもとに帰りながら肝がんの全身転移に苦しみ、最期の病床での口述筆記で完成させる。小説のヒロイン恵子のモデルとなった女優、入江杏子と別れて15年目だった。
 ポルトガルで檀が一年間暮らした家の前の通りは、彼の名前がつけられている。檀一雄という人は仮寓の近隣をもとりこにする人柄だったらしく、常に豪快な料理をしては友人を集めて酒宴を開いていたそのままをポルトガルでも続けたらしい。「檀流クッキング」という、バブルの頃流行った「男の料理!」の先駆けとなった本には、サンタクルスの隣人にポルトガル料理を教え教わる場面が出てくる。彼がポルトガルの食材で作る酢カブは好評だったそうだ。

 檀の長男である檀太郎は父親の毎夜の饗応に子供の頃からつきあっていて、やはり料理に長じて「新・檀流クッキング」という本を書いている。その後書きに「父は、この朝な夕なに集まる客を相手に、賑やかに酒を酌み交わしては談笑し、又、興に乗ると、自分から台所に立ち手料理をしては客を喜ばせていた」とある。

 その妹が女優の檀ふみなのであるが、彼女の回想はまた違っていて、「酔って夜中に帰ってきては、寝ている檀さんたちを叩き起こして突然お説教が始まる」「いつもどこかに逆鱗を秘めていて、何かがきっかけで突然怒り出すと、その怒りがどれほど続くのか見当がつかないほど長く続き」、幼いふみはいつも怯えて育ったという。さらに、ふみが小学校3年生のときプールの授業のために長く伸ばしていたお気に入りの髪を切るように言われ、抵抗すると、檀一雄が「じゃあ俺が切る!」と、ふみの髪の毛を持って引きずられ、「本当に殺される」と思ったふみは、下着姿に裸足という格好で外に逃げ出したという。今ならほぼ虐待だろう。ふみが女優の道に入ったのも父親の檀の強引な要請であり、その背景にはおそらく別れた愛人の入江杏子の影があったはずである。今なら、ほとんど虐待である。それでも長男は父親の料理を継ぎ、ふみは女優としても成功し、エッセイでは父親ゆずりの文才を発揮しえたのは、時代のせいなのか、本人たちのありあまる才能なのか、それとも檀の激しい二面性の一方にある向日性の強さゆえなのか。

 檀のおおらかで爽やかな向日性については別れた入江が、檀の死後20年して上梓した回想録「檀一雄の光と影」の中で、別れの修羅場の中で経験したすべての苦しみと引き換えてもよいと思わせる檀の「魂の美しさ」を朝日に輝くヒマラヤ山系の横を飛行した時の荘厳やフィンランドのロバニエミで見たオーロラの美にたとえている。

 檀が病床に伏した時、最期の夜、ふみたちに「父は、とっても眠いんだから、もう寝たいんです」「とても眠いんだから、もう寝させて」といい、酸素マスクを力なく払いのけようとしてこときれた。無頼派で、家庭を顧みず世界を何人もの愛人を連れて放浪した檀は、その妻と子には、異常に品の良いきれいな言葉で対話する人であったという。

  モガリ笛 いく世もがらせ 花ニ逢はん

檀の辞世の句。
 入江杏子は、檀が自分のことを常にヒューさんと呼んでいたこと、この句のもがり笛がヒューヒューという音で鳴ること、そして「家宅の人」での自分との別れに「ツムジ風は ただいたずらに ヒューヒューと」と書いていることから、これを自分に向けた檀の「最後の火花」だという。
 入江は、檀の絶命の二ヶ月前に、妻の目をぬすんで病室の檀を見舞っていた。

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