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社会批判のレイヤーについて  PCRと甲状腺の政治学

PCR検査のことをあれだけ言っておいて、偽陽性が多いだろう福島の甲状腺検査はオッケーとはこれ如何にと訝しがられることがある。もっともな疑問であり、MBA取得のコンサルタントだったらここでペンをくるりと回してペン先を質問者に向けて「良い質問だね、ありがとう」と言うところだ。

だが、その説明はきっとなかなか骨が折れる。僕にとって、いろいろなことはその時々のレイヤーの中で位置づけも意味づけも違うのだ。日常生活のレイヤー、臨床の、社会運動の、政治批判のレイヤーなどなど、このレイヤーの違いをいちいち人に説明するのは難しい。

あえてここで説明するなら、PCR批判は臨床のレイヤーであり、ここでは科学的を自称する人たちが臨床という現場を無視してPCR検査万能論を振り回すことを批判したということだ。しかも、それが科学的(確率論的)にも間違っているのだから、批判せざるを得ない。PCRで安心を得たいという社会的政治的理由は無視すべきだろう。(だが、政府は結局かりそめの安心のための検査を選択したようだ。)

福島の甲状腺検査については、検査の臨床的意味や偽陽性をもたらすかもしれないリスクよりも、国家と大企業が起こした事故の責任が曖昧にされないようにという社会的政治的レイヤーで考えている。しかも、検査の精度を決める事前確率の大きさが無視できるとは予想されないし、実際に子どもの悪性の癌であるという執刀医の証言も無視できない。ここでは検査の一般的な確率論は権力を持つ側の失策を隠蔽するものとなる。

そして、さらに言い逃れのできそうにない国家、行政の隠蔽がまたひとつ、露わにされた。

榊原崇仁「福島が沈黙した日  原発事故と甲状腺被ばく」(集英社新書:2021)

日野行介「福島原発事故 県民健康管理調査の闇 」(岩波新書)と並ぶ労作である。

驚くべき事実が綿密な資料とその読み込み、関係者のインタビューによって明らかになっているが 、特に驚きかつ呆れるのは、甲状腺被ばくについて調査するはずの事故直後のスクリーニング検査の顛末である。

半減期が早く迅速に行わなければならないヨウ素被ばくのスクリーニングが、被爆者の身体の除染作業が間に合わないために大幅に遅れたばかりか基準値そのものが引き下げられたこと、しかもそれが現場のゴタゴタの中で誰もその理由を問わないまままかり通って居たことである。

それが数年後の著者の調査で明らかになるのだが、明らかに放医研が知っての上で、等価線量で計算するところを実効線量で計算して数値を小さくみせかけ、それを現場がなんら疑問を抱くことなく大きな変更を事務レベルで拡散したことなどが明らかにされている。

これらは、偶然の過誤ではなく、あのニコニコ放射能の山下俊一が例の講演と同時に内部では事の重大さを強く危惧していたことなどから、やはり意図的なものではなかったかと思わざるをえない。

また上掲の日野による県民調査会の隠蔽体質を暴いた著書と並べてみると、さらにそのような疑いが強くなるのである。

私たちは、小悪の追求に汲々としながら、巨悪に思うようにもてあそばれているのかもしれない。

FB元記事。コメント欄の議論が活発。
https://www.facebook.com/shunsuke.takagi.79/posts/pfbid0Y2sfru1ZmoYne8ZV5xUqPTtvQLM5LrdHWts4Vt6FpeNYUD621LNwN99jC7HoZpZTl

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