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『医者が飲まない薬 誰も言えなかった「真実」』(宝島社)、発売になりました。

先日発売になった、僕も「薬では「心の病気」そのものは治せない」というタイトルの第5章に載っけてもらっているインタビュー集。

タイトルが『医者が飲まない薬 ~誰も言えなかった「真実」』という怪しいジャンク本の雰囲気満載である。宝島社だもの。タイトルだけで引いてしまう人もいそうなんで、中味の紹介をしておこうと思う。一言で言えば、タイトルに似合わぬ、まじめに「臨床現場」から語られた本である。

僕をのぞく4人のうち、森田洋之、児玉慎一郎、長尾和宏の三氏は直接の知り合いである。

もう1人の和田秀樹氏は有名人であるが、直には存じ上げていない。同年配の精神科医なんで、学会などでチラリとみたことはあるのだが、若い頃は英語の参考書とかビジネス書みたいなものを書いていて器用な人だなと思うくらいであった。最近は『80歳の壁』とか養老孟司と五木寛之を足して二で割ったような本がベストセラーになっていて、全然別世界の人と思っていた。こうして同じ本に並んで読むと、インタビューの気楽さか、自分が糖尿病を抱えて生きるところから「今の楽しみを捨ててまで、治療を優先したくない」と、精神科医らしいこと(笑)を言っていて好感がもてた。

森田氏はつい先日、嚥下障害のじぃちゃんに食事をさせている動画が大炎上したから、ネットでご覧になった人もいるかもしれない。よりよい人生の応援を志向する施設と組んで、死と向き合った高齢者医療のあり方を追求している。森田洋之で検索したらネットでたくさん見れるので、これ以上の紹介は必要ないだろう。鹿児島のトリのモツの刺身でお国自慢をする彼に、禁断の牛の生レバを食べさせたのが僕の自慢でアル。

長尾氏もネットでは話題に事かかない人であるが、町医者としての臨床の現場はしっかりしていて、このインタビューではネットでは見られない地道な臨床が語られている。降圧薬や血糖降下剤を高齢者でどのやってやめていくか、現場の知恵がある。それ以上に、町医者という立場の徹底から、病院と違って元気な超高齢者というもの、病院の医者の目には入らない人たちの人生に、医者としてどうかかわっていくのかという姿勢が語られていておもしろい。
長尾氏と講演会を共にしたことがあって、僕は「私が認知症になっても」という森高千里の「私がオバサンになっても」の替え歌を作って披露したのであるが、長尾氏がすでに同じ替え歌を自分で歌ってYouTubeに上げていると言われて悔しい思いをしたことがある。元気なオッサンである。

さて、最後の一人は児玉慎一郎氏である。最近知った怪人のひとり。そして根っからの臨床の人である。その怪人臨床家がコロナ禍と出会ってどうなったか。自分の病院にも小さなコロナ病床をもったが、そこは常に満床。その重症者を抱えながら、入院できない患者に責任をもつために往診をはじめ、それが保健所との連携となって次々に在宅コロナ患者を引き受け、その数1000人以上という。しかも初期に手探りで重症者をステロイドの早期治療で回復させ、在宅の中等症の患者も従来の薬のみで治療してきている。その記録は圧巻。なにはなくとも、この児玉氏のインタビューだけは読んでほしい。臨床魂とはこういうことかと思わされる。保健所に自分の席まで用意されてしまったおかげで、地域のコロナのリアル状況が刻々と分かっていたというエピソードも痛快だ。
その1000人の患者を病院と在宅で診る彼は、ノーワクチン、ノーマスクである。その判断に至るのに、自分が置かれている現実から、ワクチンはおかしいという「自分の嗅覚」を信じたという。そこは僕も同じで、親近感を抱いた。その親近感が通じたのか、初対面のはじめから、ニコニコとしてやってきたかと思うと、グワンと乳首をつかまれ胸を揉まれたのである。怪人である。

そういうわけで、まったく紹介になっていないかもしれないが、臨床現場の匂いがちゃんとする本にできあがっている。

ありがとう、鳥集さん。

(写真は森田氏の撮影、無断借用)

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