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青い風に吹かれながら、色について思うこと

色に関して言うなら、僕は「青」が好きだ。青は海の色であり、よく晴れた日の空の色でもある。青から派生して考えると、ちょっと色が深くなったネイビーも、大人になってから好きになっていった。

何かの色が好きだということは、よく考えてみると少し不思議な話である。僕には二人の弟がいるけれど、彼らのうちの一人は緑が好きで、もう一人は赤が好きらしい。ちなみに僕には姉もいるけれど、姉が好きな色は忘れてしまった。

僕の兄弟の話を続ける。僕らは物心がついた頃から、好きな色が決定されていた。すなわち、弟のうちの一人は緑色が好きで、もう一人は赤色が好きで、僕は青色が昔からずっと好きだった。これはけっこう不思議な出来事だなと感じる。僕たち三兄弟は、身の回りにあるものがほとんど同じなのにも関わらず、明確に好きな色が違っていたのである。

青が好きであるという事実を、僕は、特に特別なことだとは思わずに受け入れていた。人間はみんな違うのだから、兄弟で好きな色が違うのは当然のことなのだと思っていた。だって、普通に考えてみてそうじゃないか? 人間がみんな青色を好きだったら、街中はもっと青い物質であふれているはずだ。

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ここで、生後間もない赤ちゃんのことを考えてみる。彼らには好きな色があるのだろうか? 

僕には生後間もない甥っ子がいる。そして、上記のような問いかけを、その甥っ子に向かって問いかけてみる。「君には好きな色があるのだろうか?」生後数ヶ月の赤ちゃんからは、無論、返事はないけれど、僕は彼から返される笑顔にとても安心する。

赤ちゃんの笑顔の奥には、何の陰りも感じない。彼の内側にある感情は、きっといつだってシンプルなものなのだ。お腹が減った。眠い。うんちがしたい。楽しい。幸せ。悲しい。怖い。嬉しい。そんな単純な感情しか持たない赤ちゃんには、好きな色なんてないんじゃないだろうか、という気持ちになる。

白だ、と僕は思う。赤ちゃんはみんな、白いのだ。心が真っ白だから、感情表現はとてもシンプルになるし、彼ら自身にも色を判別する術がないのではないか、と僕は考える。白は、始まりの色なのだ。

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青はずっと好きだったけれど、同じくらい「黒」を好きになったこともあった。黒はとても強い色だと感じる。あらゆる色を混ぜていくと、それらは全て黒に帰結する。黒を好きになるということは、酸いも甘いも噛み締めて、しかるべき大人になってしまったということなのだろう。

人はみな白から始まり、最後には黒へと到達する。人間は、成長していく過程でどんどん色を塗り重ねていく。その間には、まさに無限の色がある。

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僕は今、また青が好きになった。「また好きになった」といっても、青のことを嫌いになったことは一度もない。しかし、子供の頃に青が好きだったように、いやむしろそれよりも遥かに深いレベルで、今の僕は青を好きになっている。それは、白も黒も経てきた僕が、自分らしさを見つけ出した証なのではないか、となんとなく考えている。

最後に、青以外の話を、少しだけ。

今はなんとなく、街中に溢れる「紫」が目に入る。なぜかはわからない。いつからそうなったのかもわからない。それでも、青と同じくらい、いや、本当のことを言えば「青」以上に、僕は「紫」の色に惹きつけられている。

12月に入ってからは、その傾向は特に顕著だった。この数週間、僕は紫を見ながら生きてきた。紫はなぜかいつも僕の少し前方にあり、それを僕はある種の道しるべとして、とにかく行動を続けてきた。そういえば紫は、平安時代から高貴な色だったんだよなぁ、と僕は思う。

何かの色を好きになることは、自分らしさを見つけることとほぼ同義であるのと同時に、自分以外の誰かの人生を感じ取ることにも繋がるのかもしれないと、28歳になった今、青い風に吹かれながらぼんやりと考えている。

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菊池俊平
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