見出し画像

2020年10月24日:味の薄いガム

 目が覚めたのは朝の6時を回った頃だろうか。感覚的には8時だと思っていたが、随分と早く起きたものだと気づいたのは目が覚めてから30分後ぐらいのことだ。いつもの習慣で朝起きたらスマホをいじってだらだらする。今日もそうだ。そして、身体の調子がよくなってきた頃にベッドから起き上がる、毎朝決まってそうする。

 むかし、もう題名など忘れてしまったが本の中で「その日のパフォーマンスに影響されるから、目が覚めたらすぐに起き上がること。スマホや新聞などの文字などの情報は見ないこと。」、そう書かれていることを実践してみた。しかし、数日たったある日身体の調子が悪くなってすぐにやめてしまった。それ以来、自分はベッドの中で極力ダラダラして飽きてきたらベッドから出る、そんな毎日を過ごしている。

 「自分の性格、性質に背くことをするべからず」今はこの言葉を信条に生きている。もしこの言葉を聞けばある人は意識が低い怠け者だと思うかもしれない。しかし、私は人並み以上に自己啓発に関する本を読んできて実践してきた。しかし、どれも続かなかった。そんな自分が嫌になることは何度だってあったし、毎回悩んで苦しんできた。そんな時、私の心に響いたのは上に書いた言葉だ。『ブラックスワン』の著者ナシーム・タレブがそんな感じの記述を書いてあったのを見て私は心を奪われた。もちろん、彼はもっと理知的な展開でそう述べていて、今の私ではとてもうまい具合に説明できるものではないが、端的にまとめるとそういうふうに書かれていた。そんなわけで今では自分の身体に反した事しないと決めている。
 

 起き上がった後は椅子に移動して読書をして過ごした。特にこれというものはなく、自然・社会・人文科学あらゆるジャンルを読む。興味の赴くままにどんどん色んなジャンルを読んでいく。だが身についているという感覚はなく、広く浅くを地で実践している。絵でも、音楽でも、勉学でも何かに特化したもの・技術を持っている人を私は心底羨ましいと思っている。自分はこれといって誇れるものがない。強いて言えば知的好奇心が人一倍強いが、それが完全に裏目に出て器用貧乏になっている。
 

 朝を過ぎると昼飯を食ってダラダラと過ごした。仕事がない日は大体こんな感じだ。生産的な活動をしたいといつも思っているが、いつもダラダラとベットに入り込んでスマホをいじってダラダラとして時間を過ごす。そして、無駄な時間を過ごしているなと後悔しながら夕方をすぎる。生産的な活動をしている人を羨ましく思う。何か人生で大きなことを成し遂げたい、なんでも良いから我を忘れるくらい物事に没頭して情熱的に打ち込みたい。そう願う毎日を何度繰り返しているのだろうか。虚しい気持ちが毎回こみ上げてくる。
 

 夜は読書をして夕食をとって風呂に入った。そして、ダラダラして過ごす。いつもこんな感じだ。たまに充実した日を過ごせたと思う日もあるが、大体はやりきれない気持ちで1日が終わる。いつも頭ではこれもやりたいあれもやりたいと頭の中ではやりたいこと・やることで一杯なのだがいざ行動の段階になると行動ができないのである。よく自己啓発の本では「悩んでいる暇があるのなら行動しろ」とか「目標を定めてそれを細分化して具体的な行動を実行しろ」など色々と書かれているが、敢えて言わせてもらおう。それができれば苦労はしないのである。確かにその方法論が合う人もいて実際に救われた人もいるかもしれない。だが私にはその人間の特性を無視して何でもオートメーション化するやり方は合わないのである。かと言って現在の状況には満足しているわけではなく何とかして現状を変えたいのだ。(わがままでメンドくさい奴である)。


今日は(「今日も」といったほうが正しいかもしれない、、、)30分以上噛み続けたガムのような日だった。今は明後日に観る『鬼滅の刃 無限列車編』だけが唯一の楽しみである。この映画は公開2日目で観たがとてもよかった。なのでもう一度、今度はIMAXであの良さを噛みしめたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?