僧侶様から恥(の文化)とは何かを教わったおはなし

 6月21日に祖父の3回忌と祖母の13回忌がありました。

その際に、僧侶様(馬鹿にしているわけでなく、お坊さんではフランクすぎると思い、なんと書いたらいいかわからなかった結果です。(爆))のお言葉が響いたので、書かせていただきます。

 

以下、僧侶様のお言葉(覚え書き)

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福岡市の消防車の台数を知っていますか?


(ここで母が「29台(・∀・)ニヤニヤ」と答える)※母は医療従事者なので母にとっては簡単な質問であった。




稼働中の車が29台で予備で各消防署に1台ずつの36台だそうです。

 大規模災害や火災が起こった際にはこの36台で助け合わなくては行けません。

その際は公助(公共の救助)はあてにしないでください。
災害が起きた時にしか動けず、災害が起こった直後はまともに動けないからです。
公助が機能した際はラッキー程度の気持ちで。


ではどうやって乗り切るかというと自助(自分の身は自分で助ける)、共助(共に助け合う)が大切です。
なので地域でのコミュニティを密にしたり、地域の避難場所を確認したり、防災グッズの準備を怠ってはいけません。

最近では、新型コロナウイルスの影響で地域での催し物もできず、コミュニケーションが希薄になってしまってます。

しかし、そういった外出や催し物の自粛を国民が守っているおかげで、新型コロナウイルスが世界から見て日本は蔓延しないのだと思います。

テレビで「日本は恥の文化」と言っていました。良いことを言うなと思っていましたが、現代では解釈がだんだん変わってきており、
新型コロナウイルスにかかったら恥ずかしいから外出しないでおこう、不要不急の外出しているのがばれると恥ずかしいから控えておこう、のような他者からの目を意識して恥ずかしいと思う。という解釈だったそうです。
そうではなく、先人や他の方たちに比べたら自分なんてまだまだです。褒めていただきお恥ずかしい限りです。という一種の向上心のような自分を恥じる謙虚な気持ちのことを恥の文化というそうです。

例えば、物事において趣味の域を出ない人に限って自分はこんなにできるんだと自己顕示したがるものです。また、人の嫌な所や欠点ばかりが目に付いたりするものです。人を見る目は厳しいのに、自分にはなかなか向けられないものです。自分を一層厳しく見る、自分を省みることが恥の文化の芯のように感じました。

ご先祖が観ているかのように考えること、自分を見てご先祖がどう思うか、なんて言うだろうかを考えてみてはいかがでしょうか。

 

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というような言葉をいただきました。
法事の際のためになりそうな世間話が結構好きだったりします。
ご先祖が今の自分を見ていたら、と思うと恥ずかしいことばかりです。

この言葉にとらわれすぎると、自分はなんてダメダメなんだ!と思い悩んでしまいそうなので、僕は僕、あなたはあなた、ズルくても、全然ダメでも、得意不得意があっても全然OK!思い詰めないように、自分で自分を追い詰めないように今回の言葉は一つの考え方として覚えておくことにします。

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