つくるという喜び

僕は今大学三年生の春学期を過ごしている。
先学期のスタジオ基礎から、スランプなのかもしれない。
スランプという言葉遣いは不適切かもしれない。

前に没頭したランプシェード製作に引っ張られすぎたからだろうか。自分はなぜ建築、物作りに今没頭できないのか、やる気が出ないのか、動き出せないのか、理屈立てて頭の中で時々原因を探る期間を過ごしている。結局問題は残り続けたまま、スタジオAの個人製作はもう残り半分もないだろう。

今、松川さんのツイッターをひたすら見ていた。
松川研の学生の、日々の物作りの記録のようなものだ。
心動かされる自分がいる。
自分より頑張っている人を見て生まれる尚早とかじゃない。僕も、作りたい、手を動かしたいという衝動が生まれている。この数か月、もしかしたらほぼ一年間?探し求めてきたものだ。

何だろう。
僕が今所属している研究会で掲げられている
愚直に 執拗に 丁寧に
これこそがつくることの喜びなんだろう。
一つ一つの発見が、それが累積した結果を見ることが、喜びなんだろう。
書いているうちに気持ちの、衝動の鮮度が落ちてしまっているけれど。
もう少し書きたい。

フローを、文字であらわすべきではないかもしれない。言い当てるべきではないかもしれない。それでも表すとしたらやはり
愚直に 執拗に 丁寧に
これなんだろう。春花さんもそうだった、これは自分の世界を作り上げている事そのものなんだろう。一つ一つの自分の作品に、命を懸けているんじゃない、命を懸けらずにはいられないんだ。試行錯誤しようと思ってしてるんじゃない、いつの間にか試行錯誤の渦に飲まれているんだ。

理屈に飲まれるな。
中途半端には終わらせるもんか、誇ることのできる、自分の回答を、思いっきりの全力をぶつけるんだ。

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