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『共同体研究記』を読んで

僕が大好きな人はよく、 follow your bliss と言う。 予感のする方へ、突き進んでいく。 僕は最近予感に従うと、山菜をたべるし、裸足で歩くし、どこでも座るし、登りたければどこにでも登る。そんな時、頭でっかちでは得られない、理屈ではない高揚感が頭を支配する。 そうしている時、僕は環境と自分が優劣無く共存している感覚を得る。挑んでいるような感覚だ。自分と環境、ではなく自分も環境の一部なのだ。でもそれは、凄く瞬間的なものだったりする。僕が日本で普段の生活をしている以

    • チョラパス前夜

      なぜ山を登るのか 小さい頃は父に連れられ、1人だとかわいそうだから仕方なく行ってあげよう、とかいう上から目線の心持ちだった。 そんなでも、中学校3年、オーストラリアへの語学留学でスマホをなくし、拙い英語で周りに聞きながらそれでも迷いながら街を彷徨った。帰ってみると、家から最寄りまでの10分なんてたいしたことないじゃないか、と一時的に歩くことに忌避感を持たなくなった瞬間を覚えてる。 とは言っても父の自転車や、山について行くにはそれなりの覚悟が要り、そんな僕はキャンプに行き

      • つくるという喜び

        僕は今大学三年生の春学期を過ごしている。 先学期のスタジオ基礎から、スランプなのかもしれない。 スランプという言葉遣いは不適切かもしれない。 前に没頭したランプシェード製作に引っ張られすぎたからだろうか。自分はなぜ建築、物作りに今没頭できないのか、やる気が出ないのか、動き出せないのか、理屈立てて頭の中で時々原因を探る期間を過ごしている。結局問題は残り続けたまま、スタジオAの個人製作はもう残り半分もないだろう。 今、松川さんのツイッターをひたすら見ていた。 松川研の学生の、