見出し画像

人身事故について思うこと

昔は、人身事故とかち合うたびに「寂しんぼが! 死ぬならテメエの部屋で首を吊りやがれ!」とか「クソボケが!! 誰もいないところから飛び降りればいいんだ!!」などと思っていたものだが、ここ数年は自分でも不思議なほど、飛び込んだ人に怒りが湧いてこない。むしろ、電車に飛び込むほど辛かったんだな……かわいそうに……ゆっくり休んでください、お疲れ様……と感じてしまう。

先日も、人身事故のために二時間ばかり駅のホームにいたのだが、やはり昔のような怒りはなかった。もちろん、早く家に帰れないことは十分にイラつくのだが、死んだであろう人の状況を想像すると仕方ない、と早々に納得してしまい、それ以上は不機嫌にすらなれないのだ。

いろいろ考えているうちに、昔と違ってスマホやタブレットがあるから退屈せず、時間を無駄にしないでやりたいことができるから心に余裕が生まれて怒りを感じないのではないか、という考えにぶちあたった。

あとは、飛び込んだ人を罵ったり怒ったりしても、まったく意味のないことで無駄に寿命を縮めているだけだと知っているからだ……まあ、性格の変化かね? 加齢により男性ホルモンが少なくなったことが影響しているのか?

で、いまこの時も、某路線で人身事故が発生している。Twitterを開けば、さまざまな怨嗟の声を見つけることができる。復旧は0時頃との情報。

ホームドアは身体の不自由な人と酔っぱらい、歩きスマホ向けでしかない。心理的に、文字通り飛び込む壁となることもあろうが、あの程度の高さなら飛び越える人はいるし(地下鉄のはまた別)、駅以外の踏切から入るとかいくらでもやりようはある。だから人身事故は今後も起こり続けるだろう。そのたびに私は心の中で合掌をするのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?