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『2020年の恋人たち』

島本理生さんの小説は初めて読んだ。
装丁と帯に惹かれてしまった。

たとえば
自分にとって大切だった人、
その美点に支えられてた人、
「世界にはこういう良さもあるのか」と教えてくれた人。
一人ではない、たくさんいる。

そんな人たちの
本人にもどうしようもないループする行動、
一生変わらない、合わない根本気質、
「ここが決定的に違うか、なら一緒に行けないね」となる思想、
それらもたくさん見てきた、そして別れてきた。

「本当は根気よくすり合わせられたんじゃないのか」
「そんな焼け野原にしていくばかりの人生でいいのか」
「私の未熟さが招いたことだろう」

それもある、でもそれだけじゃなかった、
改めてこの本を読んで思った。

どれだけ愛していても、道が違っていく人は違っていく。
どれだけ違っていても、一緒にいられる人とはなぜかいられる。
これから離れていくんだろうなという予感があっても、今は一緒にいられるから精一杯愛する。

神さまじゃない私にはそのことわりすべてを理解できなくて、ただそうである、それだけなのだ。

それらがもう己の意思で決められることじゃないなら、ただ静かな湖になりたい。
映るものをただただ映して、ひたすら学ぶ、それだけ。
情はなし。
それだけで生きたい。

主人公が恋含め、出会う一人ひとり、別れる一人ひとりを見ながらそう思った。
(この人はどれだけもてるんだろう!でもすごく納得できる、大変そう、、)
きついに違いないが、曲げないで、間違っても、学んで生き抜いていく姿がただ描かれていた。

読んでて自分ごとのようにきつかったシーン、
それは普通に一緒にいたようで
「健やかでおだやかに見える世界」と
「言葉にするのが憚られるとこに片足突っ込んだ世界」
が二重になっていた、それをお互いが思い知るとき。

人の世には裂け目がある。
だから、生まれ落ちた自分を生き抜いていくしかない、そこがどこだとしても。
そう知ってしまっている彼女の言葉・振舞いを、遠くの世界の私はただ見ていた。

人生の重さはみんなにあって、だから誰かがこうやってシェアしてくれたものを受け取る。
そうしながら、少しでも自身が「ゆるむ〜〜」にいられる時間を増やす。
そして深刻にならず、煮詰めずに、流れにまかせてこつこつ考えてみる。

そうやってじわじわとたまる学びは、重みに負けない力を自身の根っこへくれる。
私にとって人生のおもしろみってそういうとこにあるんだな、だからなんだかんだ言いながらも本読むんだな、と、主人公の彼女を思ってしみじみした。
彼女にとって2021年が、よい年になりますように。

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