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【私って何者?】 (1)

3日ほど前。

半年ぶりくらいの大きなPMDD症状が出た。
 それはそれは自分自身が1番驚いて戸惑って気が付いたら涙がポロポロ。
どこからともなく襲ってくる虚無感。
昨日までドンドン新しいことやってくぞ〜(◍˃̶ᗜ˂̶◍)ノ"と息巻いていたのが嘘みたいに次にやってくるのは『死にたい。消えたい。』だ。
毎度の事ながら自分に辟易してしまう。

驚くことにそんな私にも差し伸べてくれる手が複数できた。そして有難いことに改めて『自分てどんなやつなん?』を考えてみるきっかけを頂いたので生い立ちから整理してみようと思う。


【あんたはこんな奴なんやで】


京都府の端っこにある田舎で生まれ育った。
今もまだ住んでる。
3歳の時に両親は離婚。
2人姉妹だったので私は母に、妹は父に、それぞれ育ててもらうことになる。
後に新しい父がきて、妹と弟ができた。
新しい父は私が6年生になる頃には蒸発。
母の1人っきりの闘いが始まったのは鮮明に覚えている。
今ほど母子家庭に対する制度は整っていなかったので私には真似出来ない苦労を母は1人耐え抜いてきました。
マミーありがとう。
当時の私は『お姉ちゃんなんだから‼️』という呪文に見事にかかり

『家事全般と妹弟のお世話は私がしなくちゃいけないんだ‼️じゃないとまた怒られる‼️』

とまぁ恐怖と謎の使命感に追われる日々でした。
その呪文は効き目抜群で大人になっても解けることはなく、それどころかドンドン威力は高まっていたように思います。

話を戻します。
私がお腹にいた時に何があったのか?
どんな遺伝子を継いだのかは不明ですがどうやら先天性の弱視と先天性の有毛性母斑が生まれてきた私に付与されていました。
弱視はぱっと見ただけではわかりませんが、母斑はふくらはぎ全部を覆う大きさだったので、そりゃまぁ子供にしてみれば格好のイジメのネタです。ドラマかよ‼️ってツッコミを入れたくなることも多々ありました。教室の扉を開けたら黒板消しが落ちてきて粉まみれとか、上靴無くなったりとか、机に落書きとか。まぁザラです笑
泣いて帰る私に母は一言。

『泣くな‼️強くなりなさい‼️』

でした。
鬼やと思いました笑
小中高の12年は見事にイジメの生活でした。
なので私には戻りたい学生時代はZEROです。
ちょっと可哀想な私。(と慰めてみる)

イジメも受け続けると耐性が少しできるのか、はたまた強がりがデフォルトになったのか、泣くことをこの頃には忘れていたと思います。
当時は男の子になりたかったんです。
男=強い
というお粗末な思考で。
なので髪はベリーショート、服装は常にジーパン。これは母斑を隠すためのもものでもありました。強くなりたいと思って男の子に憧れたのはただただもう虐められたくないという無意識に生んだ防御方法だったんですね。

身体的なことだけではなくまだ1つ私にはどうしようも無いこともありました。
『国籍』です。
日本人ではない=みんなと違う
これはもう世間の大人や子供達の大好物ですね。
私がイジメの対象となる十分過ぎる条件が揃ってました。
昭和って…
凄いな……笑


ここまで読んで頂いたのでありがとうございます。
この先は早くも結婚生活に入ります笑
ぶっ飛びます笑

書きながら少しずつ消化してる気がするのでまた続きを書こうかな。と思います。

毎日笑える幸せを読んでくださる皆様とShare出来ますように✩.*˚


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