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日本の暦を知るー旧暦と暦注

日本人の昔からの知恵に学ぶために、旧暦について調べてみました。

旧暦を知る

現在私達が使っている暦(グレゴリオ暦)は、明治6年に採用されました。太陽の動きをもとにして作られているため、「太陽暦」と呼ばれます。それ以前の日本では、月の満ち欠けをもとにして作られた「太陰太陽暦」が使われていました。

太陰太陽暦には、歴史の中ではたくさんの暦法(計算の規則)がありましたが、一般に「旧暦」というのは、太陽暦への改暦の直前に使われていた「天保暦」と呼ばれる暦法のことさしています。

太陰太陽暦では、月が新月になる日を月の始まりと考え、各月の1日としました。

新月から新月までは平均して約29.5日ですので、12ヶ月間では約29.5日×12ヶ月=約354日であり、太陽暦の1年より約11日短くなり、実際の季節とずれてしまいます。

そこで太陰太陽暦では、暦と季節のずれが大きくなってきて、ひと月分に近くなると、閏(うるう)月というものを入れて、ずれを修正していました。

暦上の四季

旧暦(太陽太陰暦)の四季の分け方に、節切りといわれるものがあります。
これは四季を二十四節気の節に基づいて区分する方法で、一年を春夏秋冬の四つに分け、それぞれの季節は初・仲・晩の三候に分けられます。

気節

「節」は季節の指標、「中」は月の名前と序を決める役割があります。

二分・二至・四立は特に「八節」といいます。
二分…春分・秋分
二至…夏至・冬至
四立…立春・立夏・立秋・立冬

(節分とは:昔は「せちわかれ」といいい、季節が変わる節目のことをいいました。立春・立夏・立秋・立冬の前日はすべて節分となります。)

暦注

昔の暦は1冊の本になっていて、月、日、曜日、休日などの基本情報も書かれていますが、その他、方角の吉凶や、干支(えと)や六曜(ろくよう)、
二十四節気(にじゅうしせっき)や雑節(ざっせつ)などの注が多く書かれていました。この注のことを暦注といいます。

二十四節気

二十四節気は、太陰暦を使用していた時代に、季節を現すための工夫として考え出されたもので、1年を24等分にし、その区切りに名前をつけたものです。現在でも季節の節目節目に、これを示す言葉として使われています。

二十四節気は、太陰暦の季節のずれを補うために古代中国で考え出されたものでした。

太陰暦に取り入れられ、暦面には毎年同じ季節に同じ節気が記載されるようになり、農作業などに大変役立ちました。

二十四節気は「節入りの日」に始まって次の節入りの直前の日までの期間(約15日)を指す言葉で、一日だけを指すものではありません。

七十二候

七十二候(しちじゅうにこう)とは、二十四節気の各一気を第一候から第三候までのに三つに分け、それぞれの時候につけた名称のことをいいます。

一候はおよそ五日となり、五日ごとの時候の移り変わりを短い言葉で表現したものです。候とは一年を七十二に分けた時節の名称のことをいいます。

その起源は古く紀元前770年頃の中国で作成されたといわれています。
中国からの暦の伝来とともに日本にも伝えられ、奈良・平安時代に使用された最初の暦である具注暦に記載されました。

初めは中国から伝わった名称をそのまま使用していましたが、中国の華北地方とは季節のずれがあり、江戸時代に入ってから暦学者の渋川春海らが中国渡りの七十二候を日本の風土にあわせて大修正を施しました。

雑節

雑節とは一年間の気節の移り変わりをより的確につかむために、主に農作業に照らし合わせてつくられた暦日です。二十四節気などの暦日の補助的な意味合いを持っています。

古くから日本人の生活の中に溶け込み、年中行事として行われているものも少なくありません。

一般に雑節とよばれるものは次の九つです。
節分  彼岸  社日  八十八夜  入梅  半夏生  土用  二百十日  二百二十日

これに初午、中元、盂蘭盆、大祓えを入れる場合もあります。

五節供

昔から、日常の日々の生活の間に、特別な日を設けてこれを祭り、一年の巡りにメリハリを付けていました。そうした特別な日の一種として節供があります。

節は区切りであり、一年を区切る「季節」の節でもあります。

そうした区切りの日に、供物を供えて天地や先祖を祭るというのが本来の「節供」の意味です。
この節供は、年に5回あり、総称して五節供といいます。 

五節供には、
・人日(じんじつ) 正月七日 七草の節句
・上巳(じょうし) 三月三日 桃の節句
・端午(たんご) 五月五日 菖蒲の節句
・七夕(しちせき) 七月七日 笹の節句
・重陽(ちょうよう) 九月九日 菊の節句
の5つがあります。


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