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〇〇教徒になりたい人へ

もし、あなたが素敵な宗教に出会い、この宗教のなかに生きていきたいと思っているのに、どうすれば胸を張って「私は〇〇教徒です」と言えるのか分からない。そんな状況なら、あなたはバッチリな場所にいます。私自身、かつてそんな状況でした。この記事があなたの信仰生活の一歩になれば嬉しいです。

はじめに

この記事は、私がノートを始めた理由のひとつで、ずっと取り組んでいくものだと思っています。ですので、勉強が深まるにつれてどんどん加筆修正されていく予定です。
そんな訳でいつでも暫定版ですが、ゼロより良いでしょう!と公開します。間違いや不足など、コメントをいただけると嬉しいです。

また、各宗教の教えの基本は知っている前提にしています。これらについては別の記事を参考にしてください(後日執筆予定)。とはいえ、入信する気のない人、知識のない人も、各宗教の雰囲気が分かるかなーと思います。


イスラム教 / イスラーム

イスラム教(この時点で、イスラームと伸ばせ!とか、教は不要だ!とか言われます…)について見てみましょう。

究極的には、「アッラーがイスラム教徒(ムスリム)と認めたら」その人は信者です。ということで、人間には自分も他人もイスラム教徒かどうか分からないことになります。
と言ってしまっては面白くないので、社会的にどうか、というお話です。

まず簡単なのは、親がイスラム教徒の場合。これは生まれながら自動的に信者となります。
次に、改宗する場合。2人以上の信者の前で、「アッラーの他に神はないことを私は証言する。ムハンマドはアッラーの使徒であることを証言する。」と唱えます。おめでとう!これであなたはイスラム教徒です!
(ちなみにアラビア語だと…أَشْهَدُ أَنْ لَا إِلَٰهَ إِلَّا ٱللَّٰهُ وَأَشْهَدُ أَنَّ مُحَمَّدًا رَسُولُ ٱللَّٰهِ )

なんともあっけなく信者になれるような気がします。結局は、信仰と実践が重要で、個人とアッラーの関係性次第なのでしょう。その分、「アッラーの他に神がいる」など教えに反することを行ったり行動すればあっけなく信者と認められなくなります。
もちろん、言えばいいというものではないので、何にも知らず考えず上の通り告白してもイスラム教徒とは認められないでしょう。

イメージとしては、電車で隣の人が好きなアイドルのキーホルダーをつけている。そこで「私も〇〇推しなんです!」と宣言すれば仲間意識が芽生える。他の人から認識してもうのに宣言するけど、大事なのはファンとしての気持ちと行動ということです。

ちなみに「どうしても形が欲しい」という場合は、日本ムスリム教会、東京ジャーミィなどに相談すれば、ムスリム証明書を発行してもらうことも出来ます。

キリスト教

つづいてキリスト教です。

キリスト教の入信といえば、やはり洗礼でしょう。そして、堅信と聖体が続いて入信完了となります。宗派により洗礼のやり方は様々ですが、聖職者が志願者の頭に水をたらしたり、全身を浴槽のようなものにザブンとつけます。このとき、一対一の場合もあれば、ほかの信者との間で「信じます!」「受け入れます!」というやり取りがあったりします。

決まった通りに行わないといけませんが、逆にいえば、決まった通りにすれば誰がおこなっても有効となります。緊急時(大事故で命が危ないときなど)は非信者が授けることさえできるようです。

ただ、パッと教会に行って洗礼すればいいということではありません。断られるか、まだ出来ないと言われます。イスラム教について書いたのと同じように、信仰が先にあるものです。基本的には教会や家で祈りを捧げ、奉仕し、勉強し、自身の理解と信仰を深めるのが前提となるでしょう。

イスラムと異なるのは、多くの場合、入信には教会に所属するということが伴います。日本人の方には、家の仏事はこの寺でやるみたいな感覚と言えば伝わるでしょうか。

ある信者の方から、信仰をしていると言いながら洗礼を受けないのは、「私たち親友だよね!」「大好き!」といいながら絶対に連絡先を交換しないようなものだと、聞いたことがあります。キリストは電話もLINEもしてないので、洗礼を受けるしかない。そういうことなんですかね。

ユダヤ教

ユダヤ教の改宗は、簡単ではありません。というのも、ユダヤ教は民族宗教という分類だからです。つまり、あなたがユダヤ人ならユダヤ教信者、ユダヤ人じゃないなら信者じゃない。と区別されます。だから宣教活動もしません。

とはいえ、ユダヤ教信者になることも不可能ではありません。手続きは勉強と奉仕をし、全身を水に浸します。
この勉強は特に熱心です。宗教的指導者に付いて数年間、宗教のことやヘブライ語など、仕事もせずひたすら勉強…。
ちなみに、水に浸すからといって、「洗礼」といってしまうと、ユダヤ教徒としては背筋も凍る思いをします。お気をつけくださいまし。テヴィラと呼べばよいと思います。そして、この水に浸す行為は、神や信者とのつながりというより、魂の清めという意味合いが強いようです。

最終的にはユダヤ教裁判所のようなところで、承認を受けると、晴れてユダヤ教徒と認められます。

そして、男性の場合は割礼、つまり男性器の一部を切除します。ひぇ。
あ、すでに割礼受けているなら象徴的な儀式だけで済みますから、安心!

仏教

つづいて仏教です。

日本でさえ、立場は様々です。まず「教えに生きるなら信者です」というパターン。「はっきりしてよ、区切りを付けてよ!」と、人によっては困惑してしまうかもしれません。しかし、仏教は各々が正しく物事を見ることを目指す宗教です。イメージとしては、資格合格に向けて勉強する自習室のようなものです。勉強方法は違えど、それぞれが合格を目指すひたむきを互いに感じつつ、和を乱さないことが重要なのでしょう。

他には、授戒式をおこなうところもあります。戒を授けるという意味で、信者としてのルールをお伝えします。「こういうこと守りましょうね」「はい、努めます」そんなやりとりによって、仏教信者と認められます。ちなみに、受戒し信者となった者として与えられるのが戒名です。

また、ルールではなく、宣言として「帰依します」「うむ、よかろう」という形の場合もあります。浄土系などでは帰敬式として行われ、法名があたえられます。私ももらいました。

ここまで書いておいて…

どの宗教も最終的には、「入信したい宗教団体(教会・寺など)に相談してください」となることが多いです。また宗派などによっても、大きく異なることがあります。間違った理解・信仰をしないためにも、積極的に関わりを持つことをおすすめします。

また、信仰はみせびらかす道具でもありません。「しるし」「証明」にこだわらず、しばらくは自分の中でじっくり信仰を深めるのも一手かもしれません。


見出し画像:By Ratomir Wilkowski, www.RKP.org.pl - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1165156

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