好意と文

好きな人の書いた文章読むとガンギマるよな〜。

おはようございます。
爆走です。
今私はすっかりコロナに罹り、鼻やら喉やらに発声を阻害される生活を送りながら、ブログを書いたり仕事をしています。
ただ有難いことに、熱自体は天性のワカホリの才と、僅かばかりのタフの才が1日で下げきってくれました。ありがとう。ワーカーホリック神。

なので熱出した翌日には下げ切って仕事をしていたのですが、一応ポーズとして普段より残業を減らしてみたりもしたわけです。
そしたらもう、夜なんかぜーんぜんやることなくて!私はこれまで、山ほどの夜を、仕事もなしにどうやって過ごしてたんだっけか。

そんなわけでなんとなーく。一応、映画を見てみたり。なんとなく一応本を読んでみたり。ラインを返したり。
その果てで好きな人間たちのブログを読んだり。

ここでいう好きな人、って言うのは中高生みたいな色めいたそれではなくて。
もう関係性に名前をもたらすつもりなんて全くないけれど、あなたの事は大切なものボックスにいれておきますよ、という人たちのことです。

こういう人が私には何人かいて、その何人かの文字をだらだらと眺めたり、掘り起こしたり、慈しんだらしていたら夜はだいぶあっという間だった。

遠くにいようが近くにいようが、日々の輪郭がぼんやり見える。
そっか。最近はそんなことしてんだ。その話前も聞いたけど文になるとやっぱいいな。
文というのはその人が受け取ってきたもののパッチワークで、その人の考えの醸造と発酵で、それでもその人が世界に発信したい一部分の偏向報道だ。100%の赤裸々なんてものはなくて、やっぱりどこか、いつかそれを読む誰かの客体を意識してる。
そのことがいっとう素晴らしい。
そこを世界に開示したんですね、ということですら喜ばしい。

もう全然私と連絡なんか取らなくていいから、みんな、どこかで文字を流しておいてくれたらいいのに。
インターネットの川波に、笹舟を浮かべてくれたらいいのに。
そうしたら私は、いつだってあなたたちに会えるのにと思うわけでした。

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