就活しくじり記 完(前)

「どうしてわざわざ家から遠いA高校に進学したんですか?」

就活でそう問われるたび、私はやれ行事がどうだとか憧れがどうだとか、真っ当で、それらしい理由をつらつらと述べてきた。
述べてきたのだけれど。

実際のところ15歳のいたいけな爆走ちゃんは、
家から遠いが面白そうなA高校と、
家から近いが近すぎるが故に中学の友人が多数進学するB高校、
それから両校より少し偏差値は低いが入りやすいC高校、
どこを本命にするのかで非常に頭を悩ませていた。

私の住むあたりでは、基本公立は一校しか受けられないので、
私はこの三校を一つに絞らないといけなかったのだけれど、
これが夏にも決まらず、
秋にも決まらず、
冬の、12月の進路相談でも決まっていなかった。

その面談は12月3日の、13時ごろにあって、
勉強もしてないし志望校も決まらないんだ〜と笑う私に先生は激昂し、
「今日は12月3日だから4時!切りがいいだろ!4時から心を入れ替えて勉強しろ!で、目指すなら一番偏差値高くて行きたいとこを目指せよ!」
と、数学科らしからぬ奇妙な発言をもって私を叱りとばした。

それで私は素直なので、家に帰って3時59分まで紅茶なんかを淹れたりして過ごし、
4時から勉強し、A高校を目指すこととなった。

高校受験は願書を自分で学校まで出しに行く。

A高校へ向かう道はやはり遠く、
ローファーに不慣れな私にとっては厳しいものだった。
だから校門を前にしたとき、思わず気が緩み、

校門前で大きく転倒した。

その時の傷跡は今も残っている。それくらい流血した。

とはいえ、15歳の爆走ちゃんは「とにかく願書を出して帰る」ことしか頭にないので、普通に生徒の群れに混ざり、願書提出の列に並んだ。

しかし、血は足を滴るほどで、
靴下をどんどん血染めにして行く。
このままでは高校を事件現場にしかねないと水道を借りようとした時、
駆けつけた教員に半ば拉致されるように保健室へと運ばれた。

「願書提出でコケた生徒が、いる!」

このことは職員室にすぐさま広がったようで、
足を消毒されて悲鳴を上げる私のもとに代わる代わる色々な先生がきた。
「今転んでおけば大丈夫!」
「逆に厄払い、ってね!」
「心配すんなって!」
何も心配していなかった私はここにきてようやく、
受験生が校門前で転ぶことの縁起の悪さを知った。

中学に戻りこのことを話せば、周りからは疫病神扱いであった。

そんな疫病神が受けるA高の倍率速報は、確か1.7だかそれくらいで、
散々悩んだ同程度の偏差のB高校は1.1倍ほどであった。

たまたまではあったけれど、ほぼ同等の偏差でこの違い。
これが疫病たる所以である。

倍率速報が出た後、一回だけ志望校を変えられる制度があった。
怖気付いた私は、それに賭けることにした。

転んでまでして出した願書を取りに行くのは恥ずかしかった。
けれど、12月から勉強した私が間に合うわけがなかったのだ。
そうして私は願書を取りに行こうとした、のだけど。
その日はしとしと、雨が降っていた。

私は雨の日に家から出るのが面倒で願書取り下げをやめた。
今考えれば雨如きで行く気をなくす高校なんて初めから向いていないのだけど、
私はとにかく濡れるのが嫌で、もう投げやりに意思を固めた。

そして春、A高校に入学した。

つまり結論から言えば、高校は先生にめっちゃ怒られたし雨が降ってたからそこになった、くらいのことである。
それに受験当日もなぜか、全ての試験で受験番号を間違えるという狂気の事故を起こし、なぜ受かったのかさっぱりわからない状態にあった。

けれど、あの日が晴れてなくてよかったな、と心から思う。

思えば、大抵人生ずっとそんなもんだった。
大学も、悩みに悩んで「この選択一生コンプレックスになる.......」と半分鬱になりながら進学先をヤケで決めたが、
今は全く後悔していない。
っていうとまあ、ちょっとは嘘だけど、この学校でよかったと思えてる。

なぜこんなことを今書くのかと言えば、おおよその就活というものは落ち着いて、ひと段落しつつあって、代わりに選択肢という新たな頭痛の種を抱えているからである。
けれど、占いに行って占われなかったあの日、雨が降ったおかげで進路が決まったあの日、それらが織り合わさってうすぼんやりと示す先があるのなら、転んででも、悔やまずに、その方角へと歩んでいければと思う。
きっと後悔はしないはずだから。

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