人生バイトと先輩

人生に多大な影響をもたらしたバイトに、最近復職している。
本業もままならないのに一体どういうことですか、そんなことしている時間があるんですか、と聞かれたら「ない」としかいえないのだけど、復職してからというものかなり精神的な安定を図れている。
本業の勉強や残業に充てられないことはやや問題だけど、何より精神の安定が大事なので致し方ない。
土日にやるつもりだった仕事が終わってないけど、致し方ない。死ぬよかマシである。

さて、復職したとはいえブランクは大きく、いまだにサクサク働けているわけではない。それは機材のオペレーション面はもちろん、人間関係などにも及ぶ。私がいない間に、すっかり知らない人は増え、知っている人は辞職していたのだ。
とはいえ、バイトを始めてから一際お世話になった数人はまだ残っている。これは本当に嬉しいことで、4年も前。私が始めて勤務に入る日に、フロアを案内してくれた先輩ですらまだ残っているのだ。
だから、油断していた。ここでは学生時代の延長の環境で、のびのび思うまま働いてもいいのだと。

昨日の出勤の先、件の先輩が今年の夏には辞めること、そのことを去年の夏には発表していたこと、他にも一人、よく話した社員が今年の春に辞めることを知った。衝撃だった。普通に耐えられん。
もう何人もの辞職や、そこに付随する悲喜交交や、色々…いろんなことを割と見てきたつもりだった。しかし、今回ばかりは無駄に、これまで以上にはるかにくらっており、なかなか立ち直れていない。ゲエ。
これがなんで自分に重く響いているかというと、まあかなり好きな社員だったからとか、勝手に同じ流派の一門(とは?)だと思っていたとか、いろんな理由はあるんだけど、明確に「世代交代」を感じたからかもしれない。
確かにいろんな社員が増えたし、バイトも増えてきていたけれど、そういうことじゃない。私たちは歩き出す世代だし、渡す世代になったのだと強く感じた。
もちろん、そう思ったからバイト先への就職を選ばず、副業という形にしたし、残り続けることで「渡す」ことができるものだってある。
けれど、私のようなぽやぽやした意識の人間が、郷愁の念だけ、自分の精神安定のためだけにこの場にしがみついていて良いのだろうか…..。

いや、普通に今は私はここにしがみついていたいし、コンテンツ開発にもいつか戻りたいし、やりたいことはまだあるから、全然、全然今すぐ辞める….とかにはならないけれど。
とはいえ、自分が満足するだけではなく、場に良い影響をもたらせるか?とか、自分が発揮できることは何か?とか、そういったものをいい加減見定めなくてはいけないなと強く感じている。
自分にとってバリューがあり、学びがあり、その経歴のおかげでできることがあるほどに世話になっていたとしても、場自体が、私から今も何かを受け取ってるわけじゃないのだ。

シフトの穴を埋めますよ〜の気概以外の何かを、どうにか年内に獲得する。
これを、目標とする。

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