対バンと受容

個人的にかなり好きな人同士をぶつける会をした。それも3件!
一応全然真っ当な文脈に乗っかってだけど、普通に私の好きな人に好きな人を、あるいはその逆を知って欲しかったというか、会わせてみたかっただけ、というのもある。

私は、何かを人に勧めることは愛情と信頼と呪縛であり、対人において一番に近いくらいに尊い行為だと思っている。
という旨は多分ここでもたまに書いてる。筋少が、カルトな映画を君に教えてあげるのは、やっぱりスーパー愛なんだ。

受け入れられるか不明な、けれど自分にとって大変に価値があって、脆くて崇高な感情を、そのまま人に渡しているのだ!といえば、それはもう大体告白と同義とまで言える。
自分の好きが受け入れられない可能性があるんだよ!?あれ、やばくね!?
胸、痛くね.….?

ある程度の仲になってしまえば、多少の好みの差は乗り越えられるようになる。俺はこれ好き、あれ好き、これはそうでも。おや、違うかも。でもここは一緒ですねと。
でも、誰かに何かを勧める最初の一手ってやっぱりすごく重くて、ここが合わなかった時、甚大な被害が相互に発生してしまう。
だから自己紹介で本当に好きなもののことを言うだとか、趣味の話をするのってすごく難しいのだ。好きであればあるだけ、本当に好きなものの話はできっこない。
特に、私はちょっとマイナーというか、そのジャンルの中ではあんまりメインストリームではないものが好きになりがちなので、かなり困る。
ラジオって言ったらオードリーなり伊集院なりハライチであって、三四郎とか宮下草薙とかライトニングカタパルトをしがんでるひとってあんまりいないんだ。漫画って言ったら…..。
ここで発生する値踏みに耐えるために、関係のないコンテンツを生贄に捧げるのもやや罪悪感がある。本当に好きな人と結婚しないってこんな感じなのか、みたいに毎度思う。

話は少しずれてしまったけど、とにかく人に何か自分の柔らかい感情を曝け出すという行為は、本当にデリケートなものなのだ。私は鞄に缶バッジをたくさん並べてつけれないの。リメンバーミーのミゲルが家の暗いところに祭壇を作っていたの、文脈は違うけど、私の好きってあんな感じ。

そんな好きなもの紹介の中でもやっぱり、人と人を合わせる…みたいな、つまりは対バンってすごく難しい。
合わなかった場合は空気が露骨に地獄になるし、なんなら何よりも大事な人間関係というやつを、一気に人数分失う可能性がある。嫌なぷよぷよすぎる。だから基本的に友達同士なんて繋がない方がいいのだ。お互いがお互いの価値観で値踏みして、最悪な方向に爆死する可能性は大いにある。

なのに、最近どういうわけかたまに大学のひとと
会社の人などを会わせる、ということをやってしまう。これ、なんなんだろう。
感覚的には犬が枝を持ってくるのとか、猫が鳥を捕まえて飼い主に持ってってるあれに近い。
それぞれに「見てくれ」と思ってる。私の誇らしい先輩を。後ちょっとダメでキュートな大学の仲間を。最高の研究者を。
この相手であれば、この人を開いてもきっと受け入れてくれるだろう!という、関係各社者への、大きな大きな信頼と、それぞれに対して心底誇らしいぞ、と思う気持ち。自分だけの宗教を、信頼に足る誰かにもわかってほしい気持ち。

あんまり言語化できてないけど、私が死んだ時に、ちゃんと大学の友達にも連絡が行きそうでよかったな、とは思う。

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