オタクのはじまり

私はとあるギャグマンガにどハマりしたせいで、毎週地域の図書館に通っていた。
松尾芭蕉の本と、グラハムベルの本と、蘇我入鹿と、他にもたくさん。
とにかく、マンガの中で破茶滅茶に描かれていた人物の実態を見届けなくてはならない、というような使命に駆られていたと思う。
グラハムベルの本は図書館に3冊しかなかったので、一瞬で私と彼の物語は幕を閉ざしてしまった。マンガで数ページしか出ない人物の、まだ見ぬ余白を探して図書館に行ったのに。

けれどそこに、彼がヘレンケラーとアンサリバンを結びつけたことだとか、日本人留学生の話なんかが些細に書かれていて、なんというか。
私はそれをみて「至った」と思う。

これが中学生のころ。

私の友人の一人は国の擬人化漫画にどハマりして、どういうわけか辻仁成か誰かのフランス滞在期を読むに至っていたらしい。
太宰に人生を乗っ取られ、どうしても初版を手に入れたくて人生ではじめて古本屋に足を運んだとか。
それも、中学生のころ。

あの頃、私達とインターネットはまだまだ全然結びつきが弱くて、自分が作品から衝撃を受けたって、その衝撃の受け流し方がよくわかっていなかった。
だから彼女は太宰を写経して、私は修学旅行のコースを捻じ曲げて六角堂にいた。

今でこそ、私の体の半分はインターネットに接続されているから、it'a true wolrdってすぐ言えるしさ、物語の余白が見たければ二次創作を検索したり、絵だって描ける。
なんならアカウントを作ってその絵を載せて、他にその作品が好きな人とオフ会だってできちゃう。
あの頃の、これ好きなやつ他にいますかっていねーか、はは、という仄暗い孤独とはもうすっかり無縁な訳です。

今の私たちはもう、良い創作と巡り会った時の「態度」が定まっている。
どうやったら消化できるかを知っている。こういう態度を取ればよいという型が、経験と知識で獲得されているから。

けれど、「態度」が定まっていないときの奇妙なの行動。例えば図書館に通うだとか、写経をするだとか、そんなの。
あれが真の推し活・オタ活の始まりであって、これは民藝に通じるものがある。

だとすれば、今のオタ活・推し活の大衆化はどうだろう。態度を定める「型」として役立っていること。たくさんの缶バッジを買った分が、クリエイターに還元されること。それは良いことのはず。だって、私たちの図書館通いは全く創作者に還元されていなかったのだから。
けれど、例えば態度の定まっていない学生がなし得たであろう「民藝的オタ活」の可能性が損なわれているとしたら。型が共有されることにより、ある種の大量生産に近い現象が起きているとしたら。

今「〜が推しです」ということは短期的にはアイデンティティになるかもしれないが、それは長期的に自己の形成にまつわる要素の模索・醸造機会の損失と言えるかもしれない。
裏を返せば、人生をめちゃくちゃにされるようなものに触れてしまったとき、それは自分らしい態度を身につけるための絶好の機会のはずである。

(友人との通話の内容を抜粋・記録)

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