君の頭をよくしてあげよう。

※)以下、敬称略

本棚の整理をした。
基本的に私の部屋は綺麗な方ではなくって、特にその、カバンや上着なんかをいろんなところにぽいぽい置いてしまう方だ。
家族にはよくそれを指摘されるものの、そもそも整理整頓に対して無頓着な方なので、収納の仕方にもあまり拘れない。タオルとハンカチが混ざっていようが、長袖と半袖がパッと判別できなかろうが、正直どうでもいいのだ。

…ただし、本棚だけは訳が違う。
まず、本棚は生き物なので、定期的に空気を入れ替える必要がある。
特にスライド本棚のA面とB面の入れ替えや、本同士の並び替えは最重要項目で、新しく入った本に応じて、本棚があっと驚くような素晴らしい並びにしてやらないといけない。

例えば、若林正恭の本を買ったとしよう。
その時は、もともとナイツ塙と並べていた山里亮太と、三浦しをんと並べていた朝井リョウ。それから林真理子の横にいた西加奈子を持ってきて、山里亮太/若林正恭/朝井リョウ/西加奈子という風に並べ変え、迎え入れる。
もともと「関東芸人」「良いエッセイ」「女流作家」という群に並べていた箇所を解体し、「作家の交友関係」という新基軸に再構築した、というわけだ。
こんなことを繰り返した後、例えば「地質学」と「食文化」は近くに並んでいた方が良い…だとか、かっちりとした江戸文化の本の並びに敢えて岩井志麻子の少し乱れた話を添えてみよう…だとか、大きな群同士の組み合わせを調整する。賛同は得られないかもしれないが、やっていることはほぼ生花だと私は思っている。文脈が近い本、読後の感想が近い本を並べ、たまに奇を衒う。そうすれば、本棚はまた新しい姿を見せてくれる。
そうして、本棚も私も「気持ちいいな」と思うことができたらこの作業は終了だ。
逆に言えば、部屋はどれだけ汚くても嫌な思いをしないけれど、本棚の中で「らせん (鈴木光司)」の隣に「ニッポン式お勉強」が並び続けているのは気持ちが悪くて、最悪なのだ。

ただ、どんなに嫌だとしてもこの本棚マジカルバナナは、かなりの労力を必要とするため、おいそれと手を出すことはできない。買った本は一時的に別所に置き、期が来たら再構築を行うのだ。

そんなわけで、このGWを使って本棚を入れ替えることにした。
最近、私の中では高野秀行がアツい。
「辺境」を軸に「日本辺境論」あたりと並べても気持ちがよく、あるいは食文化の要素から珍食系の本と並べても心地がいい。だが敢えて「旅日記」ということで、高野秀行/松尾芭蕉/枡野浩一……という江戸を介して現代歌人に繋がるような並びも乙だ……。
そんなことを考えて、糠床をかき回すように本棚をひらいた。

ただ、ここでどうにも問題が起こった。
仮置きをしすぎた結果、とうとう本棚に入りきらなくなっていたのだ。
過去にもこういった出来事はあって、その時は近所の小中学生に本を配りまくることで解決してきていた。
しかし、もう今手元に残っている小学生でも読める本は自分の人生上重要な本であって、ぽんと手放すことはできない。
本棚は生き物であり、自分の生きてきた年縞でもあるので、いくら今は読まないとしたって、香月日輪が、桜庭一樹が今もそこに残っている…ということが大切なのだ。重要な絵本を簡単に手放してしまったことを今も後悔している。小さい自分を育てた本を捨てて、どうやって原点に立ち戻るというのか。
ともすれば、本棚マジカルバナナに於いて、いつも使いずらい本を手放すということはどうか。ただし、これはこれで問題がある。
人からもらった/勧められた本ばかりがその対象になるのだ。自分で選ぶ本というのは、強固な文脈の上に成り立つので、どうしたって本棚に組み込みやすい。しかし、人からの本はむしろ、やや邪魔なことすらある。
ただ、これもまた、私には実践できない。

話は少し変わる。
最近、友人と「好きなラブソングを3つ挙げるとその人の人となりがわかる」という遊びに興じていた。私は倉橋ヨエコの「友達のうた」と、あとは2曲分の枠を使って筋肉少女帯の「香奈、頭をよくしてあげよう」を推した。
「香奈、頭をよくしてあげよう」を知らない人などいないと思う(過言)が、もし居たら聞いてほしい。
人はいつか一人になる。それでも相手に何ができるかを考えた時に「頭をよくしてあげる」に辿り着く傲慢さ。
ただし、その「頭をよくする」方法が、名画座に連れていくだとか、図書館で本を読んでやるという、コンテンツの共有であることがとにかく美しい。水道代の支払いでも、投資の方法でもなく、名画座で見たサイコな映画が一人で生きる人間には必要だという姿勢が、私は本当に好きだ。
それは他者へのいちばんの愛情で、人の創作へのいちばんの信頼だと思う。

そんなわけで、おすすめの本を自分が口にする時、あるいはおすすめの映画を受け取る時。私は勝手にそこにとても眩しいものを感じ取ってしまうのだ。大層な意図はなくたって。自分を形作るいっとう素晴らしい区画を他者に分け与える行為は、カニバリズムのようなセクシーささえ内包していやしないだろうか。

だからどうしても、人のおすすめを手放すことはできない。
この本は卒論を書いていたときに紹介された本で、あの本は先輩が買えと命じてきた本だから……!

そんなわけで、本棚はもうとうに満室で、とはいえ何も手放せなくて、私は完全にやる気を失ってしまった。本だらけの部屋で、これをぽちぽち書いている。
ただ、信頼のおける他者になら、いくらでも本を開け渡していい…ような気がしている。もし、これを今も読んでくれている人の中で、何でも良いから本を勧めて、渡してくれろ、という人が居たら、人助けと思って一報ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?