肯定的呪縛

「頑張り屋さんな君がすき!」
みたいなん、フレーズとしてはめっちゃいいけど、裏を返せば「がんばる」という状態を維持し続けないとその人からの称賛は続かないわけで、実態は結構酷だ。

あるがままを肯定する、という話になると、ついその人の状態も含めてあるがままだと定義してしまうし、
人の行いや態度について言及する時、賞賛の対象はやっぱりその人が後天的に、あるいは自発的に身につけた要素の方に目がいく。

優しくていいよね、素直で最高、明るくていいよね。
肯定的に放たれる言葉は無邪気に、相手の意地悪さや捻くれ、根暗なところに蓋をして回る。

本当の本当にその人の存在自体を肯定しようとした時、そもそも適切な語彙なんか存在するんだろうか。
どんな表現で抜き取ったって、その型抜きの内側に相手の個性を勝手に定義つけてしまってるんじゃないか。型抜きの外側の、歪な方は一体どう表現したらいいんだろう。本当はきっとそっちも含めて尊びたいと思っているのに。

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