「陸上競技がなくならないんだと気がついたとき、走りたいと思った。」TBSラジオ伊集院光とらじおと末續慎吾選手ゲスト回を聴いて。
こんにちは!コダカです。
TBSラジオ伊集院光とらじおとのゲストコーナーが心に残ったので、感想を書こうと思います。
伊集院光とらじおと | TBSラジオ | 2020/11/09/月 10:00-11:00
※このnoteは感想であり書き起こしではありません。実際の放送の言葉やニュアンスが異なる場合があります。ご了承ください。
また放送から1週間経過したためradikoのタイムフリー期間が終わってしまいました。
今日のゲストはプロアスリートの陸上短距離走者の末續慎吾選手。
熊本県出身の現在40歳。シドニー北京アテネのオリンピックで日本代表に選出。北京五輪の400mリレーで銀メダルに輝くが疲労を理由に無期限休養に入る。3年後レースに復帰し現在はプロ陸上選手として様々な活動を行っています。
2003年世界陸上パリ大会200m、3位入賞時の記録20秒03は日本記録。
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『憧れを抱くと同時に心を折られた瞬間』
末續選手はパリで日本新記録を出してから、それが最低ラインになってしまい周囲だけでなく自分もその成功体験を追いかけて重圧になったといいます。
そして世界に出て戦うとウサイン・ボルトの快足の言わば怪物のような選手が続々と登場し、その選手たちと試合で走ったら憧れてしまうほど早かったそうです。
毎日死ぬほど練習して大会に出て試合に負けてしまっても、憧れを抱いてしまうのは陸上選手として絶望的なことです。
何故ならそれは勝てないとわかっているのを据え置いてやらないといけないからと末續選手は続けます。
司会の伊集院さんが思う勝負で勝つときの心構え、相手を上から見下ろさないと勝てないと語り、「憧れというのは自分の中で相当の差があるということですね。」と言葉を投げかけるます。
末續選手もその話に同意して「憧れというのはまさに心を折られた瞬間。悔しくないというのはアスリートしてつらかった。」とその時の想いを吐露しました。
伊集院さんがさらに「そこからどうなるんですか?憧れという敗北の気持ちを持ってしまってからの試合への臨み方は。」と続けます。
末續選手は「陸上というスポーツでは他の選手に憧れを抱く競技じゃないとわかりました。つまり、相手にどうやって勝つかよりも、自分をどうするかに向いてしまう。実力差がある相手を目標とするよりも自分を指標にしないとやっていけないなと思いました。」と語ると、伊集院さんもわかります。わかります。と次の話を付け足します。
お笑い界のキング明石家さんまさんを例に、その世界のトップとの戦いに自分の心をどう折り合いをつけていくのか、この存在があるのにどう生きていったらいいかという生きていく上での距離感の話を出しました。(これがとてもわかりやすかったです。)
『折り合いをつけるのに3年ぐらいかかりました。』
末續選手が具体的な話を続けます。
「日本にいた頃はなかったが、海外に出て、頑張ればいいとか経験でなんとかならない選手たちが相手になり、レースに参戦してもやっぱりどうにもならなくて、ちゃんと鼻っ柱を折られた。」と語り、「その後、やることは練習するしかないが空回りして、ただ練習してもどこかに喪失感があり、やっても満たされなかった。そして絶望感を受けて走れなくなった。繊細なところもあるので笑。」と精神的に追い詰められていった過程を説明しました。
伊集院さん「折り合いがつくまで、どのくらいの時間がかかりましたか?」と尋ねると、末續選手は「それだけが理由ではないけれど折り合いをつけるのに3年ぐらいかかりました。」と。
さらに末續選手は「本気でトップになりたかったので絶対に勝てないような相手に勝つためのアプローチの練習量を自分に課していたんです。周りから19秒台を求められていたり、そこに心身ともにプレッシャーの蓄積がありました。そのうち自分が走りたいのか、カラダが走りたいのか走りたくないのかわからなくなって、ついにじっとするしかなくなってしまいました。」とトップアスリートにしか味わえない壮絶な体験を語りました。
やがて末續選手に決定的な状況が訪れます。
末續選手「スパイクを見ると東京タワーの下が透けて地上が見えたところに立っている気持ちになりました。これって何なのと。」
うわぁーと伊集院さんが驚きの声をあげます。
末續選手「あのときは細胞がダメって言ってましたね。スパイクを履かない方が安全だと判断したんでしょう。手が震えていたり、怖いという感情もありました。ああ、カラダが拒否していたんだな。」とトツトツと語りました。
『楽しい自分を許さない空気』
衝撃的な話を聞いて伊集院さんがリスナーを含めた方向で話し始めます。
「陸上の専門的な話よりも、これはAMラジオのリスナーさんに響く話だと思うんですよ。自分の仕事だったり好きで始めたことに細胞レベルで何かが拒否しているというアンバランスなことって、よくあるんじゃないかと思うんです。」
今度は末續選手が付け加えます。「日本人ってそういう拒否を捉えるのが苦手だと思うんですよ。ボク自身も忠誠心とかで叩きあげられた世代なので、やめるということができなかった。良くなるまで休めばよかったのに、続けて最後までやり遂げなきゃいけないと思い込んでいました。」
伊集院さん「楽しい自分を許さない空気ありますよね。特にスポーツをやられている方は怠けているんじゃないかと思ってしまいがちですよね。」と話を向けます。
末續選手「トレーニングはそういう自分を追い込む厳しいものですけれど、行動と行動原理がマッチせずにずれると本当に大変です。」
伊集院さん「何がきっかけで回復したんですか?」
末續選手「母親です。自分を生んだ母親には嘘がないので。母親の泣いている顔を見たら『自分がおかしい』ということに気がつきました。『一番近しい愛』で救われて気がつきました」と答えました。
(ボク号泣)
『僕の中で陸上競技がなくならないんだと気がついたとき、走りたいと思った。』
それでも3年後再びスイッチが入って走り始めた末續選手。
一体どういう理由だったのかボクも集中して耳を傾けます。
末續選手「20代は走るのが好きという感情だけで競技をやっていました。それから時間が経つと競技の全体像が見えてきて、嫌いな面も見えてくるのですが、そういった嫌いなところも好きなところもすべて包括的に受け入れることができるようになりました。それって愛情だと思うんです。」
末續選手の「告白」は続きます。
末續選手「そして(走れなくなって)全部自分の中で整理できた瞬間があったんでしょうね。それでもやめたくないと。イヤなこともたくさんあるけど。『この競技を愛している』と思いました。」
末續選手「(走れなくなっても)陸上競技が、駆けっこが、ボクの中でなくならないんだと気がついたとき、走りたいと思ったんです。前は(自分の中から陸上が)なくなると思っていたのかもしれないですね。」と陸上について想い、愛を語りました。
この話を受けて伊集院さんから「僕はラジオで喋ることに例えるし、聞いている人は自分の人生の中で、好きなことを一瞬でも嫌いになるのが怖くて許せないことってあると思うんです。」
末續選手「それは好きでいる自信がないんですよ。」と言い切った末續選手と同意する伊集院さん。
その理由を末續選手は続けます。「試すつもりはなかったけど、結果こころとカラダでブツかってみて、自分の中で(陸上が)切り離せないんだなと悟ったとき、愛というものはこういうものなのかな?とうっすらわかった。」
伊集院さん「理屈じゃないですよね。俺は走っていると快感なんだ。理屈じゃないと。」
そうです。そうです。と末續選手が続けます。「頭の中、心の中で陸上・駆けっこがなくならないのでトレーニングは20代の10分の1になりました。陸上から離れててもいいし、くっついてもいいし。」
ここまでの話の流れを伊集院さんはとても共感して「競技を愛しているのがわかって、トレーニングへの量が変化したというこの考え方がこれからの時代のスポーツの在り方だと思っている。スパルタには限界があると思うのですよ。」と。
末續さんも「スパルタは自分の尊厳がなくなります。さっき話した自分の中で練習の空回りが始まって自分を傷つけます。(末續選手としては)ボクの成長プロセスの中で必要な時期はあったとは思いますけれど。」と同意をしていました。
『歯磨きに引退はない』
CMが明けて最後のパートで、あらためて「やめない、引退をしない理由」を伊集院さんが聞きました。
末續選手は「自分から走ることを取ったら、何も残らないです。情熱が動くことが他にない。自分が何がやりたいかを知る手段で、走ることは自分を知る唯一の方法なんです。なので引退ってあるのかな?」とちょっと考える声が出ます。
すこし間を置いて末續選手は最後に日常の一つの例をあげました。
「歯磨きと一緒ですね。歯磨きに引退はない。」
重い内容のトークでしたが、末續選手の最後の言葉に聴いているこちらまで晴れやかな気持ちになりました。
放送を聞いて。
好きなことや仕事が突然辛くなってしまうこと、僕もありましたね。
末續選手のように世界を舞台にとかスケールの大きなカッコイイものではないですが、いいことも悪いことも全部ひっくるめてやり通せたこともあるし、どうしても納得できなくてそこから離脱したことも両方あります。
亡くなったばあちゃんによく言われていた言葉で「一升升はイッショウマス」というのがあります。
お酒を飲むマスのことに例えて、己を知れ無理すんなってことなんですが、若い時はノビシロを信じて井の中の蛙 大海を知りたいわけですよ。それで頑張りすぎて、その理想と現実の間に折り合いをつけることができずにクラッシュしてしまう。
お二人の話に出てきた「敵わない壁にぶつかった時、自分としっかり向き合って折り合いをつけること」は、誰にでも起こりうるし、現在進行形でみんな頑張って戦っているんだなと思いました。
それで止まることを選ばないで突き抜けるのも人生ですが、一旦休んだり模索しているうちに視野が広がったり気がついたりして、末續選手のような競技への愛みたいに、自分の中で発見することができるのではないかと。
これからの人生で、まだまだそういうことに数多く出会うことになると思うので勉強になりました。
末續選手はもちろん伊集院さんも落語の道、タレントの道、ラジオの道で、同じ状況があって、しっかり向き合って答えを出したからこその今日のやり取りが生まれたし、今の地位を築いたんだなと。
ジンワリと余韻が残った、そんな今回のトークでした。
物凄く良かったなぁ。ご著書も拝読したくなりました。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
参考サイト
つたない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。 もっと上手に書けるよう精進します。