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七夕の夜に想う もののあわれ。『三夕の歌』。20200707(日記)

こんばんは。コダカです。

今日は七夕です。
せっかくなんで1から9まで何か意味があるのか調べてみました。

一夕(いっせき)一晩、一夜
二タ(ふた)地名、苗字

三夕(さんせき)「三夕の歌」新古今和歌集に納められている三夕の歌。
ここまで調べて良かったと思いました。
なぜなら七夕のエモーショナルさには全く届かない独身男性のボクにはググッとくる3句に出会えたからです。


寂蓮法師「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮」
(特に紅葉ではないその色が寂しいという訳でもないのだけれど、真木の立つ山の秋の夕暮れは、どことなく寂しさを感じるものだ)

西行法師「さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮」
(出家して風流を解せぬこの身にも、しみじみと「もののあはれ」は感じられるものだ。鴫が飛び立つ沢辺の秋の夕暮れには)

藤原定家「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」
(見渡すと花も紅葉も無い。苫葺きのみすぼらしい小屋がところどころにあるだけの海辺の秋の夕暮だ…)

(引用:tenki.jp「三夕の和歌で『もののあはれ』の秋に浸ろう」より)

平安末期から鎌倉初期に活躍した歌人によって詠まれた歌です。

梅雨真っ只中であってもあの秋の夕暮れの切なさと胸に込み上げてくる感じが伝わってくる再現力です。

どの歌もいいなと思うのですが、2番目の西行法師の歌は世を捨てたりしてるはずなのに理由を超えたところだったり、説明しろって言われてもわからないけど胸に迫ることは、時代や状況が違う僕でもよくあるのでとても共感しました。

また藤原定家によって詠まれた歌は、コロナの感染拡大が顕在化し拡大した今年ここまでの月日の早さが重なって、夏がいつの間にか終わってしまいポツンと秋の海岸に立ちつくしている風景が浮かびました。

最初あまり考えず「一夕」から調べて、ここにたどり着くってやっぱり七夕って素敵ですね(単純

残りの〜夕は以下の通りとなります。(他にも意味があるかもしれません。)

四夕(しせき)名前?
五夕 国文学研究(さんごのせき)との資料あり
六夕(ろくた)名前?
七夕 節句・星祭り
八夕 地名、京都に伝わる伝説の陰陽日?
九夕 よく文字化けで出る。

今回の豪雨で九州をはじめ多くの地域で、河川の氾濫、土砂崩れ等で被災された方、今も避難されてる方、一刻も早く日常が戻るようお祈り申し上げます。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

参考サイト
tenki.jp「三夕の和歌で「もののあはれ」の秋に浸ろう」

https://tenki.jp/suppl/miyasaka/2015/11/24/8051.html


つたない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。 もっと上手に書けるよう精進します。