土曜日の朝、珍しく時間があるので投稿します。
仕事を中心として、自分史を紹介します。
まずは、あらすじ。
第1章 幼少期から中学生まで。
私は、1975年に東京都北区で生まれる。出生時なんと現在(2023年)の職場の目の前の某官舎でした。何かのご縁でしょうか・・。
その後、父の転勤で、幼少期は千葉(四街道、くぬぎ山)、八戸と引っ越しを繰り返す。八戸は長く住んでいたこともあり、大人になってもたまに行く。蕪島でうみねこを見るのが好きですし、当時米軍の官舎に住んで、周辺が一面の芝生の地域にいたのも、懐かしい。
小学3年生のときに、北区に戻ってきた。中学生くらいまでは、平々凡々。足(短距離)が人よりは速かったくらい。
第2章 はっちゃけた高校時代、枯れない?大学時代。
高校に行き、良い意味で高校デビュー。ラグビーに出会い、素敵な仲間、先輩後輩に出会い、とても楽しかった。そして自由人でこんなはっちゃけた管理職になっちゃったのも、高校時代の経験が基礎となっている気がする。
大学はまあなんとなく行ったが、一番の思い出は、浦安の大遊園地でアルバイトしていたこと。でも大学時代は華やかな時代ではなかった。枯れないように毎日頑張っていた自分がいた気がする。
第3章 様々な経験をした20代。
大学卒業後は、旅行会社で、主にカウンター営業。大使館や航空会社との交流は楽しかったし、会社は期待して、4年目に大阪に送り出し、初一人暮らしとなるが、これが人生転換の大きなきっかけとなる。いわゆる福祉業界(公務員)への転換。一人になる時間も大切ですね。
1年で東京に戻ってきて、福祉の専門学校に2年間通う。それもボランティア仲間の後輩の紹介で、埼玉県越谷まで通う。年下の学生からは、「パパさん」と呼ばれていた。ちなみにこの時代、新幹線の車内販売もお金を稼ぐために働いていた。
あとボランティアって、「こどもの城」で10年くらいしていたが、この経験も、今のマネジメント業務にはかなり活かされている。
第4章 安定した・・・、でも
2005年、29歳で現在の会社(地方公務員)に入職。最初の職場は障害者通所施設。現在(2023年)管理職として障害福祉に戻ってきたが、そのときよりもさらに時間の流れが緩やかだった。でも福祉の基本は知ったかな。そのときの血も流れているような気がする。
その後、児童館に異動し、結婚もした。子ども4人の父でもある。会社の様々な流れを感じ、このまま現場には残れないと感じ、社会福祉士を取得したり、メンターさん(たぶん永久的に。実名はあえて言いませんが。ただ大谷選手ではありませんが、憧れているだけではいけないのかなと最近は感じます。)に出逢ったり、そして周囲に口説かれ、2013年に都道府県の児童相談所に派遣に。
第5章 飛躍と挫折?を繰り返す10年。
2013年の児童相談所勤務以降、様々な波に。成長期のように心と身体のバランスもきついこともあったのかなと。この10年は色々と書けるので、少しずつ投稿します。
2020年4月から児童福祉の庶務担当課に。2022年より現職(管理職)。

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