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舞台「ゲゲゲの鬼太郎」雑感想(イラストあり)

大阪公演の会場、梅田芸術劇場
この日はこの1公演のみだった


舞台「ゲゲゲの鬼太郎」8/22のアフターステージつき公演を観てきた。いわゆる2.5次元舞台というものをたぶん初めて観たが、演者さんの渾身のお芝居はもちろん、要所要所でプロジェクションマッピング(で合ってる?)を使った演出も派手で見応えがあった。以下雑感。

※本編のネタバレを含みますのでご注意ください。
※文中のセリフ、演出などはメモや記憶に基づいたものです。

●ねずみ男さん完売
開演前の物販の話だが、ものの10分くらいで藤井隆さん演じるねずみ男のアクリルスタンドが完売となった。さすが吉本新喜劇などで地元大阪に親しんでいる藤井隆さんと言うべきか。スタッフさんの「ねずみ男さん完売です」という「さん」づけのアナウンスに好感を覚えた。

●開演
「ゲゲゲの鬼太郎」(曲)に合わせたアニメのオープニングのような演出に、開幕テンションブチ上がりだった。

スクリーン幕というらしいが、プロジェクションマッピングの映像が投影される紗幕の後ろに演者の皆さんがいて、大きな人魂(の映像)が近づくとそこにスポットライトが当たり、一人ずつ立っているのが見えるという演出。テロップでキャラ名が順々に出てくるのもアニメライクで、鬼太郎たちメインキャストに続いて天邪鬼-リンが登場するところは「妖怪、天邪鬼-リン」というタイトルコールも入り、まるでアニメの冒頭で各話タイトルが表示されるところのようだった。相当「アニメっぽさ」を意識した演出だったように思う。

●本編
「人間に育てられた」という共通点をもつ鬼太郎と天邪鬼-リンのエピソードを交互に(ときに同時並行に)見せつつ、意見が対立する鬼太郎と天邪鬼-リンが最後には・・・という大きな軸があって展開していくストーリー。

最終的に天邪鬼-リンは封印されてしまうが、タケルと鬼太郎の言葉によって希望が示唆されるエンドだった。

ちょっと気になったのは、村人たちがタケルの、「リンは妖怪たちの封印が解けないよう石垣を守っているんだ」という話を全然信じてくれなくて、その理由が「急に襲われたから」というほぼ一点にかかっているというのが、ちょっと弱いようにも思えたところ。(そもそもリンが妖怪だから…というのももちろんあるだろうが)
「タケル、どんだけ信用無いねん」みたいな感じも受けてしまったので…
なので、そこはもうひとつ何か、村人がどうしてもタケルの話とリンを信用できないという決定的な要素があればなあとも思ったけど、あまりやりすぎてもクドいかもなので、難しいところかも。

●演出など
・一反木綿
2.5次元舞台素人なりに、「一反木綿が出てくるとしたら、プロジェクションマッピングでの演出なんじゃないかな〜」とか思っていたら、一発目の登場はまさかの方式で驚いた。棒の先に一反木綿がくっついていて、荒牧さんがそれを新体操のリボンよろしく操り、あたかも鬼太郎の周りを飛び回っているように見せる…というものだったのだ。その後はイラストパネルでの登場(ぬりかべも)だったりもしたが、そういうのもアリなのか…と感心してしまった。

・その他の演出
クライマックスで石垣の封印が解けかけ、巨大な蜘蛛の脚みたいなのが出てくるところでは、2階席にいながら「うおっ」と驚くくらいの迫力があった。
映像、物理(大道具小道具)とも、もちろん他にも色々とあったが、印象深かったのはこのへん。

●上坂さんのねこ娘
まあ〜良かった…
初舞台とは思えぬ堂々たるお芝居だと感じました。イキイキとしてね…喜怒哀楽の感情表現豊かなねこ娘だったと思います。
色々と見せ場も多かったですしね。

これは背景映像の話だが、冒頭、ねずみ男の監視をしているということで「下から見上げたビルとビルの隙間にスパイダーマンよろしくねこ娘が四肢をつっぱっている」とか、

サラマンドラの粉を受けて弱った鬼太郎を介抱しつつ、リンと言い争ってつ
い鬼太郎を雑に扱ってしまうところとか…

瀕死の鬼太郎をガクガク揺さぶるねこ娘

あとはねずみ男に怒ったねこ娘=すみぺが客席に背を向けたところで頭上にすみぺの顔アップ映像が投影され、「猫はねずみが大好物なんだから〜!」と、牙をむき目を光らせた恐ろしい形相(合成)になる…といった演出とかありましたね。斜め前に座っていた小学校低学年くらいのお子さんが「コワい…」と言っていたのがとても良かった。

ねずみ男をおどかすシーン

●カーテンコール
人間だけでなく、一反木綿やぬりかべのイラストパネル、目玉の親父(人形)たちも拍手を受けられるようしっかりと紹介タイムがあり、妖怪=キャラクターへのリスペクトが感じられてとても良かった。
「人間と妖怪が共存できる世界」というのがひとつの理想として描かれている舞台だったので、こういうところが行き届いているのは重要なポイントだと思う。

●アフターステージ
別記事でアフステのレポートも書きましたので、そちらを読んで頂いてもわかるのですが、鬼太郎の家(ゲゲゲの森)のセットでのステージだったので、上坂さんが七海さんに「リンは結局ゲゲゲの森に来たんだね」的なことをおっしゃっていて、ああ素晴らしき解釈・・・とほっこりした。

↓↓↓アフターステージのレポートはこちら↓↓↓

そんな感じで以上です。千穐楽はなんと配信があるそうなので、現地に行けない人も円盤の前にステージを楽しむチャンスです。ぜひご検討のほどを。

https://twitter.com/gegege_stage/status/1562636708067549184?s=20&t=UcY8uNrJ6lWfrqN4_R7ELQ

●天邪鬼-リンは人間以外の心を読めるのか?(2022-08-30追記)

たしか、劇中でリンが「人間の」心を読むシーンはあったと思うが、鬼太郎や妖怪たちの心を読むシーンというのは無かったように思う。(あったらゴメンナサイ)
では、読めるのか?というと、わからないが、観劇後、原作やアニメで天邪鬼が登場するエピソードについて調べてみたところ、どうやら読めるらしいとわかった。(心が読めるので、あっさり鬼太郎をやっつけてしまったりする)
なので、その設定に基づいてゲゲステにおいても「読める」と仮定しよう。

そのうえで、こういう解釈も可能かな、と思ったことがある。
(「脚本にはこういう意図があるだろう」といった裏読みの意図はなく、「もしこうだったら面白いな」くらいの考えなのでそこらへんご了承頂きたい)

クライマックスでリンは石垣の封印が解けないよう、自ら鬼太郎の身代わりとなる。
「人間と妖怪はわかりあえる」という鬼太郎の意見/思想にけして同調しなかったリンが、だ。(村人との話し合いに応じたのは、あくまでタケル含む鬼太郎たちの説得に折れての、せいぜい「妥協」といったところだろう)
リンは「鬼太郎、おまえにはまだまだ仕事がある」「人間と妖怪が一緒に暮らす世界を、俺も見てみたいんだ」と言って鬼太郎に「未来」を託して封印されていく。

なぜリンは、そこまで鬼太郎のことを信じられたのか?

もちろん、鬼太郎たちの「本気」が伝わったからだろう。
人間の本気、本心というのは「言葉」でなく「行動」にあらわれる。
鬼太郎たちが、問題の平和的解決を目指して必死に両者を説得したり、リンに愛嬌トレーニングを施したり、そしてクライマックスでは正気を失ったリンから村人たちを必死に守り、またリンを正気に戻そうと闘ったり・・・
その「行動」があったから、リンは鬼太郎たちの「本気」を信じられたのだろう。

そしてもうひとつ、もしリンが鬼太郎たちの心を読めていたのだとしたら?

最初から、鬼太郎たちの言葉に嘘がないとわかっていたから、鬼太郎を信じることができた。というか、知っていた。

そういう風に考えても面白いかもしれない。

いろんなねこ娘


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